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子どもの発熱時の葛藤と、手当ての偉大さ。
食いしん坊な6歳息子が、夕飯を残してソファに寝そべっていた。
「あー!またキャベツだけ残して!!」と思ったらどうやら様子がおかしい。
いつもなら取り合いになるじゃがいものおかずまで綺麗に残っている。
「どした?大丈夫かい?」
息子くんに声を掛けながら、彼の額や首を触る。
もうこの時点で本当は大丈夫ではないことを分かっているのだ。
これは長年の『おかんセンサー』である。
(え。待って。母親の『おかん』と『悪寒』とかかってるやないかーい!※偶然です)
おかんセンサーの精度は年々高くなっている、気がする。
彼の体に帯びてる熱は明らかに37度5分以上ある熱さだった。
体温計が示したのは37度6分。
しかし、おそらく今夜中にさらに上がることは容易に想像できた。
すぐに長女のひとり部屋を看病する部屋に変更させてもらった。
こういう時に協力的な家族で本当に助かるし、ありがたいなぁといつも思う。
いつも以上に団結力が高まるのだ。
長女のまくらや布団を寝室に運び、息子の寝具を移した。長女が翌日登校する時に必要なものはリビングに持って行ってくれた。
看病する部屋には、息子くんがいつ嘔吐してもいいようにプラスチックの桶とビニールの手袋と消毒セットをベッドの横に用意し、アクエリアスを薄めた水筒も置いておいた。
19時半頃に帰宅した夫の夕飯の温めや準備は本人に任せ、夕飯や水筒の片付けは中1長女に、洗濯物をたたむのは小5次女に任せた。
いや、ここは任せたというよりも、それぞれが自ら率先して行動してくれていた。
(これねぇ、劇的な変化なんだよぉ~!!!今まで私も上手く頼めなかったしさ。この家事の分担の話はまた改めて書きますね!)
20時前には準備万端な状態で息子くんを看病部屋で寝かすことが出来た。
私もマスクをして彼の胸に手を当てながら、子守唄をうたった。
いつもよりも鼓動が速い。熱が上がってくると一気に鼓動は速くなっていくのだ。
(こりゃあ、今夜上がるぞ。)
この時点で、翌日の息子の欠席と私の欠勤がほぼ決まった。
もちろん、朝になって熱が下がる可能性もゼロではないけれど、13年で培われたおかんセンサーのデータによると、この状況では限りなくゼロに近い。
(すごいタイミングだわ…!!!)
小学校の欠席と、仕事の休暇と、『今なら休んでも大丈夫!』なベストタイミングだったのだ。
小学校では、1年生の遠足が終わった後だったし、運動会が来週に控えていた。発熱したのが今週の木曜日で本当に良かった。
私の職場でも、山場を迎えていた大きなお役目が終わったところだったし、特に急用で頼まれている仕事もなく、3日間で受けなければいけない院内の健康診断もすでに受診済みだったのだ。
『この日なら特に支障はない。ゆっくり休もう!』と心から思える状態でいられることが救いでもあった。
子育てをしていると、「なんでこのタイミング…!!!」と感じる場面でこどもの体調不良が起きることはよくある。
よくあり過ぎて次第に慣れてしまったけれど、約束やイベント、任されていたことがあると、その都度がっかりしていたのも素直な気持ちだった。
母として、子どもの体調不良にイライラしたくないし、がっかりもしたくない。体調不良になった子どもは悪くないんだから。本人だってなりたくてなったわけじゃない。そんなの分かってる。本当は、笑顔でそばにいたい。
ただ、私もひとりの人としての生活や人間関係もある。楽しみもあれば、責任感もある。だからこその残念さや申し訳なさも感じる。本当は、自分の予定を優先したかったよ。
その狭間で、何度葛藤してきたか分からない。
『頭でわかっても心がごねるの』ってRADWIMPSの洋次郎さんが歌詞にしていたけれど、まさにそんな心境だった。
何度も何度も葛藤し、その度に揺らぎ、悩み、自分と向き合ってきた。
自然と優先順位も考えるし、決断力も鍛えられた。
ただ、自分の本音を後回しにしがちだったのも事実で、『本当は〇〇したかったのに!行きたかったのに!会いたかったのに!!!』という思いを押し殺してきた時代もあった。
ある時、封じてきた想いを解放しだしてからは、自分のどんな本音も感じられる許可が出来たので後回しにすることなく、『本当はどうしたかったの?』と自身に問うことも出来るようになった。そこに素直に答えられるようにもなっていった。
それからは『感じてはいけない想い』はだいぶ無くなってきたように思う。
今こうして振り返ってみたら、そういえば無くなっていたという感じなんだけどね。
こんな経緯があったからこそ、今回息子の発熱に対して葛藤することなく、「明日はゆっくり休もう!」と思えることが嬉しかったのだ。
ちなみに、ここまでの話を書いたまま、どうやら私は寝落ちしていたようだ。
現在、時刻は夜中の2時をまわっているけれど、案の定息子氏の熱は上がっていた。
脈打つ鼓動はさらに速くなり、全身がかなり熱い。
熱は39度に達していた。
タオルに包んだ氷枕を用意し、熱の上昇でフーフー言い出した息子の胸に再び手を置いた。
『手当て』とはよく言ったものだなといつも思う。
手を当てることが何よりも薬になる、と思う場面が子育て中に何度もあったからだ。
もちろん、適切な投薬は必要なのだろうけど、発熱時は耐えうるならば無理に解熱剤で下げたりせずに、自身の体で戦った方が風邪の期間が短く済むことが多い。
(※ちなみに細菌感染症の場合は抗菌薬を飲んだ方が良きです!)
発熱時でも、手を当ててあげることで子どもは安心してゆっくり寝ることが出来るのだ。
『ママの手は魔法の手。ママの子守唄は睡眠薬。』と子どもたちに言われてきたけれど、
手当てから流れるエネルギーも、声の周波数や波動もきっとあるのだろうから、効果はやっぱりあるのだろう。さらにそこに愛がこもっていたら、効果は絶大だ。
原始的な方法だけれど、本質的な手当てはよく効いた。
今はぐっすり眠っている。スピスピと可愛い寝息…だけでなく、大人顔負けの大きないびきも聞こえ始めた。よく寝れているみたいで安心だ。
私もそろそろ寝よう。
ゆりやんレトリィバァさんの「寝れる時寝ときや~!」は自分の中で大ヒットなフレーズだ。
小さなお子さんを育てるママさん達には特に、共感を得られるんじゃないかな。
寝れる時に寝ておこう!!
明日(もう今日ですが)書けるタイミングを見つけてまた書こう!
ここまで読んでくれて、ありがとうございます☆.*˚
またね!*˙︶˙*)ノ"