喫茶店にて
死ぬのには何か理由がいるんだろうか。
きっかけとか、重大な何かが。
そんなものもなく、いつでも、フラットに、
ニュートラルに、
私は死にたかった。
にもかかわらず、今コーヒーを飲もうとしている。
死のうとしているのに?
なんだか滑稽だが、コーヒーを飲みたいのも死にたいのも自分の中にある事実だ。
事実だなんて、それはなんて儚いものだろう。
子供と呼んでいい歳ではないのだから、そんな認識からは離れるべきだ。
真実も事実もこの世には何一つない。
そしていくらでもある。
それがごく当たり前の大人の事実。
つまらない世界だ、と思う。
そしてなんでここからのリタイアが許されないのだろう。
勇気があれば、いいのだろうか。
飛び込む勇気、それさえあれば。
どうか安楽死を合法化してくれないかな。
清廉潔白な政治など初めから望んですらいないから。