継ぎ目をあつめる
祖母の家にはちいさい庭がいくつかあって、あちこちに花が植わっている。彼女が施設へ入居してからもう4年近く経ち、誰もお世話らしいお世話はしていないのに季節がくると毎年きちんと咲く。その花のうちのひとつが水仙で、春先めがけて3~5種類ほどの水仙がそこかしこに現れる。水仙という花をこれまでじっくり見たことがなかったのだけど、よくよく見ると花弁と副花冠(まんなかの筒状部分)どちらも白い子がいて、あまりにもかわいらしくて一部持ち帰ることにした。
包むための何かを求めて、母と二人で祖母宅へ上がる。定期的に母が掃除しているため、住人のいないその家の中は綺麗に保たれている。風呂場の増築・居室の増築・縁側の増築と、3回も増築を重ねたつぎはぎのちいさな家。縁側に至っては祖母が90歳くらいの時にどうしてもほしいと譲らず寝室の隣に増築した。他に目立った窓がないその家で唯一日光が潤沢に注がれる場所となった。彼女が縁側をほしいと言った理由が、当時は理解できなかったけど今ならわかる。
祖父は生前、入所していた施設のソファに腰かけながら「家に帰りたい」とよく口にした。葬儀までの少しの間寝室で横たわる祖父と過ごした時間を、その場所で死装束を覚束ない手つきで着せたことを、今も太陽が真っ白に染め上げる暑い夏の日に出会う度思い出す。
母が寝室のカーテンを開け、水仙を包むものをうろうろと探す。あの日、祖父が横たわっていた場所に佇む母の白い手と真っ白な水仙に、縁側のおおきな窓から差し込む光が纏う。
生きていたこと、生きていること、生きていてほしいと思うこと。
もし今祖父が生きていたら。祖母が元気で庭のお世話をしていたら。きっと、この写真を撮ることはなかった。これまでとこれからの継ぎ目である「今」が写真となり、それを静かに教えてくれる。
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