非主流から生まれた主流
中国では、「非主流」という語彙、最初は十五年前、青春期の少年少女の中で流行って始まった。そのときはデカダン、厭世、特別、主流の正反対という意味だ。例えば、空を見ていきなり涙が出るとか、世界中自分みたいな特別の人がいないとか、遠方に行きたいとか。しかし、「非主流」が広がり、主流な言葉になったら、すぐに飽きられた。だって、それはもう特別なものじゃないでしょう。
コーヒーも映画もワインも同じ。最初コーヒーが西洋から中国に輸入したとき、サラリーマンの中で流行って始まった。優美な喫茶店で、コーヒーを飲みながら、人生を考えて感傷し、自分の特別さをちゃんと味わう。特に若い者の中で、暇の趣味はコーヒーをちゃんと研究するとか、映画をちゃんと観るとか、ワインをちゃんと味わうとか、そういう人はだんだん増えている。そして私が社会人になるとき、コーヒーも映画もワインも趣味としてすでにごく普通のものになる。例え自分がコーヒーや映画やワインが好きでも、相手に鮮明な印象が残られない。ある日、私の友達は私に愚痴をこぼした、「マッチングappを開けると、みんなの自己紹介は本当に似てる。ほとんどはコーヒーとか映画とかワインとか読書とか旅行とか好き。たくさんの人のプロファイルを見たけど、印象を残る人が一人もいないの。」でもそれを言った友達も、たぶん自分の存在感と特別さを求めてる人なんだ。
私は別にこういう現象が嫌いわけではない。ただ面白いと思うから書きたいだけ。自分の存在をちゃんと証明したい気持ちは、別にダサいものではないと思う。ただし、特別と普通は、時々、そんなに大きな区別はないかも。