月曜モカ子の私的モチーフvol.243「誰かがパーカーを配ってる」
先週の中頃から書きたいと思うことはあって、それはここ十日程で日本の戦争報道が凄まじく偏ったものになってきていると強く感じていて、その偏りに第二次世界大戦の直前の日本を感じ、昭和初期研究家として戦慄していた。(少し前は昭和初期っぽいなあと思ってたけど、今一気に昭和12年頃の気配を感じてる)
先週お店にピアノを弾きに来てくれた上山くんが「自分のよく行っていたロシア料理のお店は誹謗中傷が激しくお店をたたんだんだ」と言っていた。
2015年アラビアに滞在している間に後藤さんの殺害があったけれど、
実はその日、ISILはサウジアラビアのロイヤルを8人も殺した。
ジャマール閣下は言った。
「ISILはテロリストなのに、誰かがその組織にわざと悪意を持って”イスラム”という名ををつけた。イスラム教を殺人宗教のように思わせたいんだ。ISILが本当に”イスラム国”なら同じイスラム教徒のサウジアラビアのロイヤルを8人も殺すわけがない。彼らは単なる殺人集団なんだ。なのに」
この時ジャマール閣下が言った、
「誰かが僕たちのパーカーを来て人殺しをしている」
「イスラム教徒の仕業にみせかけるために」
と言ったその言葉は強くわたしの心に残りました。
日本では後藤さんを殺した集団がサウジアラビアのロイヤルも殺したことは報道しませんでした。それで日本ではイスラム教って怖いね!っていう風潮が強くなり、向こうの作家の一人は来日を取りやめました。
このような体験があるので、わたしは現在ウクライナが主張している大量虐殺にしても「もしかしたら誰かがロシアのパーカーを着ているのではないか」と考え、一方的な報道に不安を感じてる。
今もしここで誰かがそのパーカーをあちこちに配布していたら、
その組織こそ極悪人である。
間違いなく被害者はウクライナの国民であるけれど、同時に戦争を反対している多くのロシア人も同時に被害者である。店をたたまねばならなくなったロシア料理のお店の人は加害者だろうか? 違う。
ここを見極めないと未来永劫ロシアの国民はナチスのようにホロコーストを行なった、ジェノサイドの国、と決めつけられてしまい、その出来事が今後の国際情勢を決めていく。経済制裁を行なっている国で貧しくなっていく国民の怒りも全部ロシアに向くとしたら、これは大ごとだと思う。
ビクトリアヌーランドという人がいます。
ウクライナにはアゾフという組織があって、ウクライナでありながらウクライナ人を殺してきたという流れもあります。ウクライナという国をうまく操って、ロシアと戦争をするように仕向けた国があります。
その国がうまく煽動しなかったら日本だってあの時、真珠湾を攻撃していなかった、かもしれない。
日本には報道や言論の自由があって、日本の報道機関は全て真実を報道していると思えるけれど、それは違う。特にイスラム国の案件が激化していた2015年の1月〜3月、ドバイで流されていた報道と日本がしていた報道は全く違うものでした。わたしは双方の報道をこの目で観ましたし、国を動かしている立場の人の発言を直接たくさん聞いたのですアラビヤで。それは日本で報道されている内容とは歴史含めて全然違いました。
立場が違うので違った言い分になって当然だと思う。なので今の日本の戦争報道も、日本の立場からやってるんです。
今、ウクライナがロシアにボコボコにされて全ての条約がロシア寄りになったら大変だとみんな言ってるけど、日本はかつてアメリカにボコボコにされて、以降、そのアメリカ寄りの条約で、現在も運転しています。
つまり中立な報道など、許されていない。戦争なんて昔の話だと思っている人がいるけど、勝った方は向こう100年はざらに終わらない約束を結ばせているのです。だから日本はWifiの普及が遅かったんです。
気になる人は調べてみてください。
そして大きな正義や道徳で語らなくても、コミュニティというのはそういうものです。イーディではこの数年で何人かを出禁にしたけど、イーディのSNSでも現場でもどうしても出禁にした側から語られるエピソードであり偏っている、ということです。出禁にされた側から話を聞いたらもしかしたらわたしのことを酷いと思うかもしれない。わたしもなるべく中立的な立場で物を語ることを心がけていますが、もし仮に気難しい常連がいて、その人がすごい大きなお金を使ってくれている時に、わざわざTwitterなどで名指しで叩くようなことはしないでしょう。
(言っておくが王窪、ではない。笑。……ね。こう書くことである種の煽動を、今わたしも行なっているわけだよ、言葉って刃物よりも恐ろしい)
そういうようなことが、国単位のことになればもっと大きなバイアスがかかるのは当然なのだと思います。だからこそ受け取る側のリテラシーがより必要なのではないかと。
月モカ、というフィールドが思想や正義で染まって欲しくない、と思う人がたくさんいると思うし、わたしも「女人藝術」のファンとして、真っ赤に染まっていく昭和4年以降の「女人藝術」を残念だと思っているので、月モカではもうこのようなことをあまり語らず、その代わりにしばらく2017年〜2018年と神楽坂のタウン誌「かぐらむら」で連載された長谷川時雨さんの評伝「桃果子の時雨美人伝」をちょこちょこ掲載していこうかなと思います。
今回を初回に考えてたのですが前置き、が長くなってしまったので、
これは今日の月モカにしようかな。今回のみ社会的な回になりましたが、
お納めください。読んでくれている一人一人の正義や感性を正そうとするものではありません。昭和初期研究家として「報道」は、どうしても気になった部分ですので言及しました。
<モチーフvol.243「誰かがパーカーを配ってる」2022.4.11>
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なお「桃果子の時雨美人伝」ですがマガジンがすでにあります。
最後に我が店で行いました「女主人生誕祭」のスライドショーができたので、そちらを最後に貼っておきます。
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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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