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愛する人と暮らす

21で実家を出た。それから3年ほど一人暮らしをした。一人暮らしを選んだのは、ごく自然なことだった。21歳、幼いなりに自立がしたいと思ったのだ。一人でわたしは生活できるんだと、そう思いたかった。
しかし、実際住んでいたアパートは実家から車で15分ほどのところであったし、祖父の畑で採れた野菜をよくもらって食べていた。家にゴキブリが出たときも、パニックになって気づいたら祖母に電話をしていた。どうしても一人が嫌なときとか、話を聞いてほしくてたまらなくなったときはすぐに実家に帰った。母は微笑みながら、いつもわたしの話を聞いてくれた。一人じゃ生きていけないんだなあとすぐに、素直に思った。

 24歳の冬。現在。わたしは恋人と暮らすことにした。19歳の頃からずっと恋人がいなくて、ずっと夢に見ていた幸せな生活である。3年暮らしたアパートに別れを告げ、実家から車で30分ほど離れた一軒家へ。
実家に帰る頻度が以前よりも減った。祖父の野菜ももらわず、スーパーで野菜を買う。家にゴキブリが出たら、恋人に退治を頼んだ。ひとりが嫌なときも話を聞いてほしいときにも、今は隣に恋人がいる。母と同じく、微笑みながら話を聞いてくれる。心満たされて、ただただ、今の生活に満足している。昨日、久しぶりに実家に顔を出したら「元気にやってそうで良かったよ」と母が嬉しそうに言う。

 そこで、ずっとわたしの世界に入ってきてくれる人が欲しかったのだと気づく。共に一緒の世界を生きてくれる人。家族はあたたかい。でも、祖母には祖父がいるし、母には恋人がいる。みんな自分の世界を共に生きるパートナーがいる。わたしはそのなかに決して入れない。わたしは家族を愛してるし、愛されてもいる。それは確かなのに、寂しい気持ちになるときがあった。だから、今がとても幸せだ。

 ひとりは自由であった。自分のことしか考えなくて良いから。でも、ひとりは孤独であった。自分のことしか考えていない自分は、とても寂しい気がした。
今は、不自由だ。恋人の生活リズムに合わせる。ひとりだったら夕食はサッポロ一番で済ますのに、栄養バランスを考えた食事をつくる。今日はポテトサラダと具材たっぷりの煮込みハンバーグを作った。お風呂もガス代を気にして、ほぼ毎日一緒に入る。風呂キャンセル界隈とは無縁の生活。背中も流してあげるのだ。ふと恋人は柚子風呂に入ったことがないのだろうと思い、仕事終わりに、家とは反対方向の実家へ寄り、柚子を調達する。明日は冬至だよと伝え、柚子を見せると「明日?楽しみだなあ」と仕事終わりの恋人の顔が綻ぶ。今日も安心した気持ちで眠りにつくのだ。

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