恥を捨てて、受け取り上手な私になろ
こんにちは〜!aiです。
ここ数日はまた、自分に対して新しい発見をすることがたくさんありまして。
一見ネガティブなこともあったのですが、
本当に生きてるだけで日々学び、日々成長しているなと感じます♡
最近気づいたことを書いていきますね。
「恥ずかしい」が大きすぎる私
偉そうに(?)マインドの発信をしている私なのですが、
実際これらの記事を読まれることを、実は心の奥底では「恥ずかしいなぁ」って思っていたんです!
いや、実は薄々は気づいていたんですけどね。
でも、ある人から「本音を隠していそう」って言われた時に(1回じゃなくて、何度かある)
うわ〜私めっちゃ自分のこと恥ずかしいと思ってたんだ→だから発信のこととか知り合った人に話せないことがあるんだってことに気づいてしまって。
ていうか気づけたことには本当に本当に本当に感謝しかないのですが。
こんなこと書いて、
「すごく病んでた奴、ヤバい奴だと思われたらどうしよう」
「意識高い奴だと思われたらどうしよう」
って思ってました。思った以上にこの感情は潜在意識の中にあったみたいで。
この根本はやっぱり「自分のセルフイメージが低いから」があると思います。
あとは「普通の女の子だと思われた方がよい」みたいな。
なんでしょうね、色々矛盾がありますよね。
私は、唯一無二の特別な存在だと思って欲しいのに普通の女の子ぶるって
願望と行動が一致していないじゃないか。
それに普通の女の子の定義って何?とも思う。
実際確かに、私だいぶヤバめのメンヘラだった自覚はあるし、
書いてる内容意識高いな〜って自分で思う時もあるし。
当てはまってはいるんですけどね。笑
じゃあこんなに恥ずかしいと思っているのに発信したくなるのはなぜ?と考えた時、
やっぱりみんなに伝えたいことがあるからなんですよね。
拙い割に私が色々と日々生きていて学んだことで誰かの学びになればと思っているんです。
でも拙さが完璧になる日なんてこない。
だからこそ恥ずかしいって思う部分や、発信者としてはダメダメじゃない?と思う部分に関しても、
これからはもっともっと発信していきたいと思います!
この「恥ずかしさを超える勇気」こそが誰かに響くと思うから!
誰かに想いを届けたいならまずここを越えたいと思ったのです。
実際、割と勇気を出して自分のコンプレックスのことをインスタのストーリーズにあげても、
とってもありがたいことに「いいね!」がいつもより多かった&1人もフォロワーは減らなかったから。
むしろDMで「どうやってその考え方に至ったんですか?」って聞かれることもあったくらいです。
前回の記事に「想い」のことを書きましたが、やっぱり等身大の自分の嘘偽りない気持ちに勝てるものって何もないよな・・・。
マインドのこともそうだし、カメラのこともそうだし、今年は恥ずかしさってものは1つずつ手放していければな〜と思いました。
そもそも、私の気づきは貴重で、大切で、誰かのためにもなる!って思っていたら、
この考えを恥ずかしいと思うこと自体が、自分の価値を下げる行為だよね。
他人の目を気にしていた私
お気づきの通り、他人の目しか気にしていなかった私。
だから「◯◯さんってこうだよね~」とか周りから言われるのめっちゃ嫌いだったし、
注意されたりなんかした日には、めっちゃずーんって落ちてて。
他人が私にする行動で、「あれ、私のこと良く思ってないのでは?」とか、
考えるだけでもズーンってなる時もあったり。
「他人からの評価=自分への評価」というように「自分で自分を信じる」ということが本当にできていなくて。
だって、他人からの評価は目に見えるけど、自分からの評価って目に見えないじゃない?って本気で思っていたわけ。
だからこそ、
・友達が多いように見える方が良い。だから必死で友達が多いように見せる。
・いい会社(大きな会社)にいる方がいい。
・他人の評価が全て。
・他人から愛されるからこそ価値がある。
みたいなことが起こる。これって全く自分の意志や想いがないじゃない?
だからこそ、
・友達との予定をたくさん作る。(乗り気だったらいいよ、でも乗り気じゃない予定もあった気がするなぁ。)
・自分の会社のことを恥ずかしく思ってしまう。(100%満足!っていうわけではないが、仕事も楽しいし裁量もあるし、いい仕事なのになぁ。)
・他人からどう思われるかだけが行動の指標。
・付き合っている人や家族、友人に愛されているかを試す。
こんな感じで自分軸で物事を考えるということが一切できていなかったんですよ。
そして今もこの癖が完全に抜けたかというと、おそらく抜けていない。
でも、自分の本当の心の声を拾っていくと、
「本当は私はこう思うのになぁ」みたいな声が出てきたりもするわけよ。
ここで心の声を逃さずキャッチできるように、毎日自分の感情を感じて、知って、行動に繋げていくと、
「本当はこうなのになぁ」という理想と現実のギャップがどんどん埋まっていきます。
受け取り下手すぎた私
せっかく会社のお偉い方が私のことをすごく褒めてくださっているのに、
最近までそれを全然受け取れていませんでした。
「そんなことないですよ~」なんて言ってしまっていました。
「私のこと、揶揄ってんの?」だなんて思ったりして。
それは私が自分のこと低くみてるからこそ出る発想なんですよね。
ここを素直に受け取って、「ありがとうございます〜嬉しいです♡」って言えれば、相手も喜んでもらえるのに。
例えそれが万が一、私のことを揶揄うような一言だったとしても、いいの!
それは相手の問題だから。
日本はお世辞を言う文化もあったりするから、言葉を真っ直ぐに受け取るの難しいなとも思いますが。
また、親からは愛情もお金も、親なりに与えてくれていたのに、
「どうして他のお母さんとは違うの!」って思ってしまったり。
真っ直ぐに親からの愛を感じる心が私にはなかったんだと今ならわかるけど、
親も人間だから必ず自分の思った通りの愛情表現をしてくれるわけではないんです。
でも他の人とは異なる方法で愛情を表現してくれていたりするはずなのです。
それを受け取れる人間になるために「ある」に目を向けるってすごく大切なことだなと思います。
愛を伝えられない私
自分が他人からの愛を受け取れない場合、愛を伝えることもできません。
だって、受け取ってくれなかったらどうしようって不安になるもんね?
受け取るか受け取らないかは相手の勝手なのに、
受け取ってもらえることを期待したり、
受け取られなかったら自分の価値が下がったように感じてしまったり。
でもね、どれも全部幻想なのです。
自分の中に確かにそこに愛があるのであれば、私は伝えた方がいいと思います。
少なくとも私は、他の人から愛をいただけたことは嬉しかったから。
伝えることが勇気のあることだってわかるから、余計嬉しく感じるから。
安易に愛を伝えられない私にとっては、その愛の偉大さがわかるから。
そういう観点では、「伝えられない私」がいてもいいのかな!って思えます。
その上で伝えたいと思ったら伝える!ここを大切にしたいです。
食わず嫌いだった私
例えばの話ですが、私にはネイルなんて必要ないだろう。
そう思っていました。でも爪が綺麗だとテンションが上がることは知ってる。
じゃあなんで必要ない?お金がかかるから?
でも仮にもし、大切な親友がお金がかかるから、やめようかと思ってるって言ったら、
「お金かかるから諦めなよ」ってアドバイスできる?
そう考えた時、私はちょっぴり自分を下に見ていたのかも?と言うことに気づいて。
そしたら人生で1回くらいネイルしてみてから、本当に必要ないのか考えてみよう!という風に思えてきて。
そしたら3000円分のネイルチケットが急に手に入って、「一旦行ってみようやん!」と思えた。
となると、私は爪に数千円かけるなんておこがましいと思ってたのかもしれないな〜と思いました。
実際ネイルするのはこれからなのですが、これでテンションが上がるのであれば、
今後やってみてもいいのかも?と思えました。
確実に成長していた私
いまだに愛されない自分を探しては落ち込んだり、
他人の言動にイライラしたり、
不安なことを見つけてはテンションを下げたりすることもよくあります!
だけど、ここまでたくさんのことを学ぶことで、
不安になっても、落ち込んでも、イライラしても、「そんな時もあるよね〜!」って自分を受け入れて、
落ち込んでいても「あったこと」に目を向け、他人からの愛に気づき、受け取ることができるようになりました。
これが自分への愛ですよね。
そしたら落ち込んでも回復は本当に早くなりました。
モヤモヤする時間が減ると、行動に回せる時間が多くなるので、
夢の実現へのスピードがめちゃくちゃ早くなります!
自分の感情に真っ直ぐに
変化球を投げ続けることも、自分が楽しめるなら私はそれでいいと思います。
人生は一人ひとりが楽しむゲームだから!
だけど真っ直ぐに投げる勇気がなくて、変化球を投げてしまって、
結果的に相手に伝わらなかったりして、モヤモヤしてしまう。
こんな風にうまくいかなかった経験、あなたにはありませんか?
私はこれをたくさん経験してきています。
人生では悶々モヤモヤしている時間がたくさんあるほど暇ではない。
悶々モヤモヤが心から楽しい!と感じられるのであれば、それを味わい尽くせばいい。
でも多くの人がそうじゃないはず。
だからこそ、自分の想いに気づき、それに対して真っ直ぐ行動できるようになることって大切だと思います!
でも、時にはどうしたらいいかわからなくて、悶々としちゃう時もありますよね?
でもその時さえも、「リアル人生ゲームだ♡」って感じて楽しむくらい俯瞰できたら最高ですよね!
重要なのはこの行動1つ1つが自分の人生に何をもたらしているのか考えることかな〜と思います。
この考えこそが、「どんな自分もOK!マルだよ!」っていう感覚なんだなぁと最近常々考えております。
つまりこれが自己受容というやつですね!
以上、終わります!