見捨てられ不安/自分が分からない/解離で記憶障害/留学
はーい🙋♀️もこもこで〜す🌥
今日は晴れたり曇ったりの梅雨の間の爽やかな天気でしたね😃
私は、お昼に近所の空き地で久しぶりにラジオ体操🤸♀️をしました。そよ風🍃がとても心地よくて、ずっとこの気分🍃が続いてくれたらな〜と思うほどでした☕️😊
ではまた、精神科医のガートナー先生の書籍📖からの抜粋です。詳しくはこの文章の終わりにあります👨🏫
📕この文章は、基本、誰でも歓迎✨です☺️
⤵️のことに興味をお持ちの方なら、さらにお役に立てるかも⁉️
【第8章 親密な関係 pg 273】
精神科医ガートナー先生👨🏫の治療❤️🩹記録
✅自分にとって一番大事なことは、パートナーが自分を置き去りにしないこと
ラモン(男性患者)は、自分にとって1番大事なことは、パートナーが自分を捨て去って行ったりしないという確信を持つことであり、一緒にいるのが男性か女性かどうでもいい時がある、と言った。
「僕と一緒にいることをとても喜んでいるように見えたのに、彼らはいつも僕を置き去りにしていた。(ラモンは非常に外見の良い美男子)誰かと一緒にいる時、僕はいつもその人を自分のものにしたと思う。彼らが本当に僕に惹かれ、ずっと一緒にいてくれるだろうと思っても、彼らはいつも去って行ってしまう」。
✅セックスよりも、心から大切に扱われ、優しくされることを望む
対人関係において彼が望むのは、成熟した性器的な結びつきというよりは、むしろ大切に扱われ、優しくされることであった。
✅相手が支えてくれるのなら、パートナーの性別は気にならない
他者からゲイやバイセクシャルだとスティグマを持って見られることを恐れ、実際成人後は常に女性のパートナーを選んできたのだが、その一方で、彼は自分が気にかけられ、支えられていると言う感覚の前には、パートナーの性別など大した問題ではないと思うこともあった。
✅自分の心を突き動かす原動力は、見捨てられ不安
物理的に父親から、そのほか多くの面で母親から見捨てられてきたように、誰かに見捨てられるのではないかと言う耐え難い思いが、彼の心を突き動かす原動力だった。
これらのことが明らかになった面接からの帰り際、ドアのところで私のそばを通り過ぎながら、彼は(あなたが僕にうんざりしなければ良いのだけど)という痛切なつぶやきを発した。
✅低い自己肯定感
それから彼は、自分には他に何も取り柄がなく、身体のほかに世の中に貢献できるものなど何もないと感じると打ち明けた。「ベッドの中で、どのようにすれば他の男性や女性を楽しませられるかはわかる。でも僕が知っているのはそれだけなんだ」。
✅自分を取り戻すための治療プログラム
したがって、今始めようとしている訓練プログラム(PTSDの治療)に乗り出した後は、彼にとってはとても大きな1歩だった。
✅自分がここにいるのを確かめるために空想する
ラモンは、セックスの間に空想することについて話した。それは自分が女性の膣の中を這い上がっていくことができ、(ただそこにいる)と言うものだった。
✅治療後、子どもが持つような無垢な(ピュアな)時期は加害者によって奪われていたことに気づく
この空想について尋ねると彼はためらいながらも、やがて、自分が生まれ変わって、無垢な存在になれるチャンスが再度与えられることを想像するのだ、と言った。「子供が持つような無垢な時期は、僕にはなかったんだ」。
子供時代を奪われてきたことがよくわかったことを私が彼に伝えると、しばらく沈黙した後、彼は泣き出した。
【もこもこの感想】
🍀人間不信が強すぎて自分から人を見捨てていた私
私は、人間不信が強すぎて、ラモンの例のように相手が自分にとって1番大事なことは、パートナーが自分を捨て去って行ったりしないという確信を持つことが全くできませんでした。
最初からこんなひどい自分は、相手からきっと見捨てられると絶望感から頑なに思い込み、決めつけていました。
🍀解離で誰に会ったか思い出せない
私の場合、トラウマ反応によるフラッシュバックに操られて、26歳の頃から38歳頃まで強迫的なセックスを無意味に繰り返していました。最初の2人と数回会った別の2人は断片的に覚えているのですが、無意味なセックスを繰り返すたびに解離が進み、誰とどこで何をしていたのかトラウマ治療後も、ほとんど思い出せない状態です。
🍀強迫性衝動が満たされるなら手段は問わない
私は、自分の病的性衝動が満たされるなら、男女どちらでも構わないし、遅かれ早かれどうせ去って行くんだから、性別なんてどうでもいいと思っていましたね。ぶっちゃけ、妊娠や性病の恐れのない、セックスドールみたいな物でもいい、人間じゃなくても性欲が満たされるなら、何でもいいや、って思っていました。
当時、ローターなど大人のおもちゃを購入して試したこともあったのですが、痛いし気持ち悪くて、全く満足出来ませんでした。
🍀どうやったら自分を大切に扱えるかまったく知らずにいた
私もラモンと同じく、本心では、大切に扱われ、優しくされることを求めていましたが、どうやったら他人から自分が大切に扱われ、優しくされるのか、まったく分かりませんでした。
当時の私は、自分の感情さえ自分で感じられず、嬉しいのか悲しいのか全くわかりませんでした。
いつも、自分をごまかしてぼーっとしていました。
🍀孤独感からますます卑屈に
自分が気にかけられ、支えられているという感覚は、当時の私にはまったく無く、死にたいのに死ねない、他人からはバカで変なヤツだと馬鹿にされたり下に見られたりで、見た目も太っていて清潔感が欠けていて、かなり卑屈になっていました。
🍀英語との出会い
当時、国際交流のボランティアサークルに入っていたのですが、有名一流大学→有名企業のメンバーが外国人相手に流暢な英語を話していて、普段から自分とは全く違ったおしゃれな雰囲気が漂っていて、嫉妬と憧れの気持ちで眺めていました。
🍀自殺に失敗して渡米🇺🇸
私は何回目かの自殺に失敗した後、どうせひとりぼっちだし、死んだ気になって英語圏の海外に留学してみたらなにかが変わるかも‥⁈ と無知とアホゆえに思い込み、31歳で渡米し語学学校の一番下のクラスに入って勉強し始めました。
強迫性衝動は続いていましたが、米国では英語が出来ないので怖くてセックスは誰ともしませんでした。
🍀米国大学🇺🇸での人々の優しさ
現地のクラスメートや教授など人種も文化も異なる人々の暖かさや優しい励ましに、私の強迫性衝動が、強迫的な猛勉強に変わりました。
🍀強迫性障害が勉強に向かう
語学学校の時はあまり熱心に勉強していなかったのですが、大学に入学後は毎日大量の暗記や課題に毎日泣きながら、力尽きて廊下に倒れるまで勉強に励んでいました。
クラスメートがスタディグループを図書館で開催していたので、積極的に参加しました。とても楽しくて1年間参加しました。スタディグループのメンバーは人種や世代も様々でしたが、私にとって家族のようでした。スタディグループが解散してしまったときは、胸に穴が空いた様な猛烈な淋しさを感じました。
アメリカの田舎で、日本人が非常に少ない、砂漠の様な小さな町で、娯楽が無い退屈さは、勉強に集中するためには非常に良い環境でした。
🍀勉強に集中しても強迫性衝動に苦しめられる
毎日、勉強に集中しながらも、激しい腹痛に強迫性衝動に悩まされて性欲を我慢するのは非常に辛く、勉強に疲れては、首吊り自殺未遂をすることがありました。
📖引用書籍の情報📖
【引用書籍】少年への性的虐待 : 男性被害者の心的外傷と精神分析治療 リチャード・B.ガートナー 編 宮地尚子, 井筒節, 岩崎直子, 堤敦朗, 村瀬健介 訳 作品社 2005年3月
【第8章 親密な関係】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784861820137
【注】引用にあたり、読者の皆さんが理解し易いように言い回しをニュアンスを損なわない程度に変更している部分があります。ご了承の程よろしくお願いします🙇♀️
⬇️ガートナー先生の本は、2022年6月現在絶版😭です。
もし、図書館等で📖借りてみたいな〜😃とご希望の方のために、貸出可能な図書館が掲載されている国会図書館のリンクを貼りますね📚
ぜひご活用頂けますと嬉しい😃です💞
⤵️全国の男女共同参画センター内の図書室に書籍📖の貸出を実施しているところがあります😃
もしかしたら、近くで📕が見つかるかも知れません☺️
https://www.gender.go.jp/research/joho/pdf/01-6.pdf
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