「パブリック 図書館の奇跡」を観た。まるで落語の名人の"人情噺"のようでした。あと、向田邦子的でもあるな。
前作「星の旅人たち」がジンワリと感動する映画で、自分の愛すべき映画リストに入ってたんですが、その監督・脚本のエメリオ・エステベス(あのブレックファスト・クラブのフットボールやってるやつ! チャーリー・シーンのお兄さん。ヤングガンのビリーザキッド!)の新作「パブリック 図書館の奇跡」が公開されたので、早速飛びつきました。
地味だけど脚本がすばらしい群像劇
こんな状況なので、もちろん映画館の椅子は一つ飛ばし。それでも、しっかり人が入っていて、こういう地味な映画だからこそ、この時期でもヘビー映画好き層が集まってくるんだろうなと思いました。
お話としては、寒波の迫るシンシナティの図書館を舞台に、暖を取るために夜中も滞在させてもらいたいと立てこもるホームレスの集団と、それを排除しようとする警察/検察、ホームレスを支援しようとするライブラリアン(図書館員)の間の"なんやかんや"な一晩の物語。
この設定を軸に、登場人物のそれぞれのバックエンドが小出しに絡み合っていくかたちで物語が進んでいきます。
基本的にはクスッと笑えるポイントが多いのですが、そのなかに泣かせるポイントがあったり、登場人物の暗い過去などがあらわになったりと、群像劇的な展開。前作、「星の旅人たち」でも、主人公(エメリオ・エステベスのお父さん、マーティン・シーン!)と一緒に歩くそれぞれの登場人物の個性が、楽しくも悲しい、そして切ない話の群像的なイメージだったのですが、今回もそれを踏襲していました。
エステベスの映画は「人間の業の肯定である。」
で、この二作をみておもったこと。これ、ものすごく落語的じゃない??という感じです。
落語の大名人、立川談志のことばに
『落語とは、人間の業の肯定である。』
というものがあります。これ、たしかにそうで、落語はとにかくダメなやつがたくさん出てきます。落語は彼らをただ「ダメだよな。。。」と笑うのではなく、ダメも含めて愛おしく肯定していく、そういうものだと思っているのですが、エステベスの2作もその落語的な「業の肯定」が詰まっている。落語的なんですよ。
落語的と言えば、今作はサゲもみごとでした。サゲなので、詳しくは言えないですが、見事な伏線回収。笑いながら、咽び泣く、落語の人情噺によくある後味なのがすごくいいです。談志のらくだや、芝浜を観た感じの後味。多分、脚本での上げ下げ、濃い薄いのバランスが神がかってるんだろうな、エステベス。
ふとした非日常を経て、日常が進む。向田邦子脚本っぽいんだよな。
あと、もう一つ、なんとなく似てるかな??と思ったのが向田邦子の作品群。庶民的な普通の生活のなかに現れる「ふとした非日常」。でもそれがクライマックスではなく、今後も日常は続いていく、そんな感じ。このあたりエステベスの映画にも向田脚本にも共通してるんでないのかなと。
特に「阿修羅のごとく」のような、日常の中にそれぞれが隠し事があって、それが日常に少し変化を与える。でも、その日常はつづいていくという感じのドラマの運び方。さらに群像的に4姉妹の日常が描かれる。森田芳光さんで映画化されていますが、これもエステベスっぽい感じなのではないかなと。
とはいえ、じつはエステベスの映画はこの2本しか観てない・・・。「ボビー」とか「メン・アット・ワーク」とか見て、エミリオ・エステベス=向田邦子説を強固なものにしないとなーと思う次第。あと、ちゃんと向田邦子脚本を見直そう。坂東英二の「あ・うん」を見たい!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?