半生反省…③こうやって生きてきました。(就職活動編その2)
純日本製。阪神大震災を幼い頃に経験し、リーマンショックを経て、東日本大震災を経験し、コロナをやり過ごし、最近は猛暑で引きこもっている、30代の人間、今はただのパンダ(この意味はそのうち明らかに)。(キャリア的な話多めです。)
上場企業→幹部海上自衛官→上場企業→金融ベンチャー→オーナー企業の役員兼子会社の代表、兼、自分の会社
とりあえず、なんでこんな人生になったのかの反省。
目次
普通論
志望業界とは?
結局そういうことね(次回予告)
書類選考・面接テクニック論(次回予告)
1.普通論
前回、面接の雰囲気をぶち壊して自滅した某K大学の学生を目の当たりにした私は、就職活動においても「普通が一番」という結論に早々に至りました。
普通が最高、普通が至高。
じゃあ、普通ってなんやねん?と次のステップに思考を進め、少なくとも面接で掛け軸を出す必要はないよねという極端なところから考えを巡らせばよさそうか、帰りの電車のなかで考えていたのを覚えています。
その後の人生においても、「普通」を追求することが、実は「エクセレントな水準」に到達する確率が高いことを体験してきました。
結論としては、「普通」とは、その人にとっての「期待値」のことです。
そして、就職活動は、「期待値」をどれだけ満たしているかを示すプロセスだと私としては定義し、全ての活動をここからスタートすることにしました。
その後、私は、いわゆる「営業」の世界を中心に生きてきましたが、営業は「顧客の期待値のコントロール」だと思います。(これはまたいつか必ず書きます)
K大生君は、自分の独創性を示すべく掛け軸に託したのでしょうが、そもそも、某広告代理店の面接官は、そうした独創性を必須とする仕事環境なのでしょうか?あるいは、その独創性の示し方は巧みだと言えるのでしょうか?
もちろん、広告業界の方々は他の業界の人たちよりも、情報感度が高く、いろんな話題を理解しないといけない人たちですから、「独創性」を理解する知力や余裕(そして体力)は必要かもしれませんが、彼らが「独創的」である必要は(コピーライターなどは除かれるかもしれませんが)あまり必要ないのかもしれない。
むしろ、彼らの仕事は、常識を踏まえて、なにが普通でなにが普通ではないのかを峻別する仕事だといえるのではないか、と思ったわけです。
M本人志も、昔、深夜の「放送局」というラジオ番組で、芸人は、常識があるから、非常識ができるという趣旨のことを話してましたが、まさにそういうことだと思います。
次に、独創性の示し方というのは、「出落ち」であってはいけないと思います。掛け軸を目視したら、それで以上終わり、というのは巧みなコミュニケーションではないし、そうしたことが巻き起こった空間に、大の大人5人を置き去りにする行動は、独創ではなく「迷惑」ではないかということ。
社会人たるもの、「迷惑」な人は、よくないよね、ということになったので彼は落選したという当たり前の帰結だと思ったわけです。
普通が一番実は難しい。
2.志望業界とは?
という、普通の難しさに悩みながら、家に着いたときに次の論点として、そもそも広告業界に行きたいのか?という、「いや、普通はそれから考えるやろっ」というスタートラインに立ちました。
が、回り道はしてみるもので、「普通」がキーワードになった私にとって志望する業界とは、自分にとっての「普通」に近しいものであるほうが、自然でいいんじゃないかという入口が用意されていたわけです。
つまり、スタートラインにおいて、巷によく言われる「自己実現」という就活生がよく使うマジックワードから早々に解放されたわけです。
正直、なにをもって自己実現なのか?そんなものは、こんな大層なおっさんになった今もよくわからないし、「三食腹一杯食えて、面のいいねーちゃんを眺められたら最高」というチェーンソーマン的な欲求が勝つというのも現実としてはあるわけです。(ここから解脱するには、まだまだ相当な修練が必要だろうと思っています)
自分の欲求を実現する場所が会社ではないというあきらめを早々にしたうえで、自分の普段の振る舞いがそのまま通用しそうな分野はなにか?と考えたら、
営業じゃね?
というワードに落ち着きました。
いや、それは、役割じゃないの?というツッコミもあるのでしょうが、要するに、営業的なことをしてる仕事を探せばいいという1つ目の絞り込みはできたわけです。
ちなみにですが、私の家系は公務員ばかりなので、営業というのも未知の領域だったのですが、よくよく考えたら、バイトのシフトを交渉することも、怒らせた彼女の機嫌をとることも、自己の利益と相手の利益の調整だと考えたらそれが「営業」なのではないのかという考えに至り、べつに特別なことじゃなくね?という風に理解したのです。
そして、「営業」なんだから営業会社…更に進めて、商社をうけてみようと思ったのでした。
で、どうせなら、5大商社を受けてみようと思ったのでした。なぜなら、業界を絞るのはよくわからないから、全部やってる総合商社を受けて、あとは配属のときに人に決めてもらおう、という発想になったのでした。いや誠に安易でシンプルな考え方で、おっさんになった今の目から見ると恥をさらすようなことですが、根がどMなのでまあ大丈夫です。
…と、一例を述べられてもダルいという読者諸氏(いるのか知らないが、いたらいいな笑)のために、より、汎用的な視点で、私が面接をしたときのことを踏まえて、お伝えしたいことがあります。
結論から言うと、みんな志望業界界隈の話題を尋ねても決まってませんでした。安心してください。多くの人はなんかの拍子に、いい先輩にであったとか、合説の雰囲気がよかったとか、誠にファジーな雰囲気できまっただけのように思います。
そういうのにしっくりこないなら、こういう考え方もあるのではないかと思います。
私が、面接で合格を一番安心して出した子は、
「私は親孝行したいから、見合う給与を支払ってくれそうだと思ったし、そのために自分のキャラクターや能力が活かせる業界であり、会社だと思い志望した」という順でストレートに言ってきた子でした。
結局、情報量が限られ、期限の決まったなかで下さないといけない決断(これは就活に限りませんが)には、それが「自己利益にかなう最善の選択だ」と確信していることが重要だと思います。給与や待遇はその選択の尺度足り得る客観的な情報だと思います。
給与を追い求めろといいたいのではなく、客観的に判断できる情報を蒐集して意思決定するということにフォーカスすればいいと言いたいわけです。
また、もうひとつ付け加えたいのは、自分には学歴が資格がないからこの程度の会社だろうという決めつけもやめた方がいいです。
判断するのは相手であって自分ではないからです。この世の中のすべてがそうだと思います。
・・・次回につづきます。