イスラエル・パレスチナ問題


2023年10月7日、ハマスによる大規模なテロにより今まで蓋をしていた、イスラエル・パレスチナ問題が再び大きく動き出した。もちろん、このも問題をイスラエル・パレスチナ問題と題するには色々と問題があることは承知の上で、今回はそのようなタイトルとしている。

イスラエル建国の歴史の概略は、報道でも繰り返し伝えられている通りその歴史はパレスチナ人、しいてはアラブ人とユダヤ人の戦争の歴史でもある。更に歴史を遡れば、2000年以上に渡るユダヤ人の迫害問題にも言及しない訳にはいかない。

国を失い離散したユダヤ人のうち、主に迫害されてきたのはキリスト教圏(キリスト教、ギリシャ正教)に広く離散して暮らしてきた。歴史を少し思い起こしてみれば、現在のキリスト教もまた。元をたどればユダヤ教から分派した宗教であり、分派した当時はむしろ少数派であった。

それが次第に広まり、北米、欧州、ロシアといったユーラシア大陸の広範囲に渡る地域に広まっていった。宗教的な同化政策でもあったと言えるのではないでしょうか。その中において2000年以上に渡ってどうかを拒み続けてきたのがユダヤ人であったとも言える。

もちろんそれが悪いことであったという意味ではない。ユダヤ教はユダヤ人としてのアイデンティティにも深く関わっており、そのため2000年にわたり周辺がキリスト教という宗教への同化が進む中でも離散せず、ユダヤ人、ユダヤ教徒と言うコミュニティを維持し続けてきた稀有な存在でもある。

今ほど人権というものが確立されていなかった時代いおいて、自分たちと同化しない民族はそれこそ異質な存在として写っていたことから、迫害の対象となったことは想像できる。その帰結が第2維持世界大戦下でおきたホロコーストなのだろう。

ユダヤ人にとって自分たちを保護してくれる国家を持たな無いことがどれほどの悲劇を引き起こすのか、身にしみたことだろうというのは想像できる。当事者でない以上、安易に理解できるとは言わない。

幸運にも、島国という他国から海で隔離された環境で暮らし、大きな外敵から侵略を受けた経験もほとんどない日本人には容易に想像することは難しいでしょう。日本人が現在当たり前のよに享受している、人権、生命・財産の保証つにいても、これは人が生得的に持っている権利ではなく、日本人のそれらを保証しているのはあくまで日本国憲法であり、その後ろ盾となっているのが日本という国家である。逆いいえば、それがなければ誰もそれを保証してくはくれない。

一方、パレレスチな人側から見れば、突然自分たちが住んでいた土地を奪われそこにイスラエルという国家が建国されましたと言われても、納得できるわけがないのも想像できる。そもそも、中東諸国の国境を見ても分かる通り、中東の国境もアフリカと同じく植民地時代に欧州の国家が勝手に線引して出来上がった国境である。

そのため、パレスチナ人のみならず中東にはクルド人の問題も存在する。ペルシャ人(イラン)とアラブ人(サウジを筆頭とするアラブ諸国)の対立、シーア派、スンニ派などとも言われる宗教的な対立(宗教的な対立はそんなにきれいに2分化できる問題ではないが)。オイル利権による対立。そこにきてアメリカ、ロシア、トルコ、欧州、中国といった大国間の勢力争いなど、問題を上げ始めればいくらでも挙げられる地域でもある。

今回のイスラエルとハマスの衝突も、どっちもどっち論を展開する人もいるが、結局のところそれは玉虫色の回答をしているだけであって、非難されにくいかもしれないか、なんの解決策も提示していないことには変わりがない。

イスラエルと言う国家が建設されたのに対し、パレスチナという国家がなぜ建国されなかったのか、パレスチナ人の国家も建国すれば問題が解決するのではないかというような論調も見受けられるが、私はそう思わない。

そもそも土地を奪われた側、結果的に奪う形となった側、そういった人々が暮らす国家が隣接された状態で建国されれば何が起こるのか。心の何処かに再び自分たちの土地が奪われるかもしれないという思いを抱えた者同士が、隣人として平和に暮らしていけるのか。

物事を単純化して結局のところ、土地、不動産の問題だという人もいる。そんなわけがない。パレスチナ、イスラエルと言う国家が現在の土地に隣接して存在すれば、そこで何が起こるのか。パレスチナ人とユダヤ人の対立、アメリカとイランの対立、イランとアラブ諸国の対立、トルコとクルド人の対立、それらがそれぞれ無関係に進行するだろうか。

そのようなことはありえず、現にシリアでもそれらの問題は複雑にからみあい、3つ巴とも4つ巴とも言える内戦が繰り広げられている。仮にどこかの時点でパレスチナという国家がイスラエルに隣接する形で建国されていたとしたら。今回の出来事はハマスによるイスラエルへのテロではなく、まさに国家間の全面戦争と言う形で起きていたかもしれない。

その場合、パレスチナとイスラエルだけの問題にはとどまらなかっただろう。シリアのようにそれぞれを支援する国家間の代理戦争という色合いも必ず出てきただろう。現状において、ハマスの行ったことは間違いなくテロであり、これは非難されるべきものである。同時にイスラエルの自衛権に基づく反撃も、明らかに行き過ぎであることもまた否定できない。

ハマスはもちろん、パレスチナ人を代表するものではない。また、ハマスは国家ではないため、国家であるイスラエルと同一に語られるべきものでもない。どれも誤った主張ではないが、いずれもこの問題の本質ではない。

イスラエルを非難するトルコ、イラン、アラブ諸国に置いても、民衆の声を無視することはできずイスラエル非難を繰り返して入るものの、そこからもパレスチナ人国家の建国という声は聞こえてこない。それはおそらく、先に述べた通り問題をより大きくしてしまうだけでああるという認識があるからではないだろうか。

イスラエルという国家がもし建国されていなければ、それはユダヤ人にとっての悲劇である。建国さた結果起きたのが、パレスチナ人に取っての悲劇である。イスラエルと言う国家建設という悲願に飛びついたユダヤ人、戦争という手段で土地を取り戻そうとしたパレスチナ人、パレスチナ人への同情、同胞意識だけでなく欧米への反発も多分にあったであろうアラブ人、強引に建国を勧めた欧米社会、何ら関与しなかった他の国々、いずれもスタート時点で道を誤ったとしか言いようがなく、出口のない問題を作り上げてしまったのではなかろうか。

この問題は結局のところ、どちらかが消滅することでしか解決されないとしか思えない。現状で言えば国家という主体を持たないパレスチナ自治区が不利である。時間をかけ実質的に消滅し、パレスチナ人もクルド人と同じく国家を持たない民族として暮らしていくしかなくなる可能性のほうが高いのかもしれない。

仮にそのような事態となったとしても、問題が解決するわけではない。クルド人と周辺国の衝突が続くように、パレスチナ人ととユダヤ人の衝突もなくなるわけではなく、そこにはイスラエルを支援するアメリカとパレスナ人を支援するイランの対立という構図も見えてくる。

イスラエルを非難しているトルコにしてもクルド人問題と呼ばれる、大きな民族問題を抱えている上、パレスチナ人国家の建国となればまた態度を変えてくるだろうことも想像できる。イランとアメリカの対立に巻き込まれたくないアラブ諸国も同様であると思われる。

そういった思いがあったからこそのハマスの犯行でもあるのだろう。ハマスの行いは間違いなくテロであり擁護できるものではない。同時にイスラエルの行いも自衛権と言うには行き過ぎである。起こったっていることを見るだけならそれで済まされるかもしれない。けれど結局のところ根本的な解決策を誰も持ち合わせてはいないのではないでしょうか。

ユダヤ人からもパレスチナ人からも、それ以外の方からも怒りを買いそうな意見ではあるかもしれない。また、問題と題しながらこれを書いている私自身にもなんら解決策は思い浮かばない以上、無責任と言われても仕方がない。

もちろんここまで書いてきた内容は、当事者でない以上あくまで想像の上でのものでしか無い。それぞれの当事者にしか心の意味では理解できない事柄のほうが多いであろう。そういう意味においては報道番組で日本人同士が相手の見解を否定しあっているような様子は、滑稽であるだけなのではないかもしれない。

ただ、別の見方をすれば当事者にしか心に理解できないと言う思いは双方にあるとしたら、それが相互理解のの妨げになっているとも言える。往々にしてそういった事柄は第三者が主導的な立場ことでしか解決しない。この問題の最大の問題は、そもそもこの問題を本気で解決したいと考えている第三者が存在しないことなのかもしれない。

2023年11月06日


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