見出し画像

食事ってめんどくさい

僕は食事が苦手だ.

特別嫌いな食べ物がある訳でも無いし量が多すぎて食べきれないって訳でも無い.それでも目の前の食事に対して集中する事がどうしても苦手だ.どうしても食べる事に飽きてしまう.

僕には苦手なものとそうで無いものとどれくらいの割合で共存しているのだろうか.
僕の主観では圧倒的に苦手なものが多いと思う.話すこと,朝起きること,服を選ぶこと,歯を磨くこと…書き始めるととめどなく思い付く.圧倒的に欠点ばかりが目につくわけだけど履歴書には長所を書かねばならないこともある.長所とは短所の裏返しだなんて言葉も時折耳にするけれど,簡単に裏返しが思い付く短所のばかりではないと思う.例えば、僕は優柔不断という短所がある。これを長所として書くことを考えると慎重とかそういう言葉が当てはまるのであろうが、優柔不断の結果、間違いを犯すことが多いのであれば慎重である意味はないと思う.これでは僕の逡巡に意味はない.

数々の失敗や挫折を重ねて僕自身大して出来る事はないと思う.だけどそこで終わってしまっては延々と楽しくない.元から楽しくない時間を過ごせるわけじゃない.仕事にしたってプライベートにしたって僕は中の下という自己評価だ。現時点で誰かに秀でている要素は何もなく、このままのペースで能力を伸ばしたところでこれから先,頭一つ抜けた存在になることは考えにくい.だとしても人生における生きがいや楽しみ,幸福というものを享受したいという傲慢さは捨て去れない.

さて,話を頭に戻すと食事というものが苦手という話だが,少し調べてみるとこれには複数の要因があるようだ.

まず一つは現代社会のうち日本などの多くの国において飽食という現象が起きているかららしい.日本では食品ロスの話が時折出るが,食料の輸入量も多い.多様な料理があり自宅で料理をすることもあればコンビニで済ませることもある.このように食べ物を得ることは比較的容易であるということが人生や生活の中での食事の優先順位が下がっていることが要因ということだ.

またほかの要因として,タスクを抱えすぎということもあるらしい.
僕自身仕事や人間関係,自分自身のキャッシュフローなど考えることは多い.これらの多くのタスクというかストレスを抱えている状態で食事の優先順位が相対的に下がっていることは僕も実感する.もともと人間の脳はマルチタスクが非常に困難な構造らしいから.
またストレスが原因で胃腸やその他の活動が鈍り食欲の不振が起こることも良く知られている.過食になることもあるようだが.

まぁこうして調べてみたことを自分に当てはめると両方とも当てはまるのかなと思う.実際問題在宅勤務時には宅配を使うこともあるし,仕事をしている時とそうでない時の境界が曖昧になり,食事をしながらも仕事している時が間々ある.またそもそもの話,人とコミュニケーションをとることを苦手としていることもストレスの原因であるかもしれない.話しているよりも脳内にあることを文字に起こしている方が僕にとって圧倒的にハードルが低いのも事実だから.人間嫌いと言えばそれまでだが,仕事を行う上では嫌いでもやれる必要はある,金貰ってるし.

食事が苦手ということを人に話すと多くの場合,尊重はされるが理解されない.学校教育では出されたものを完食することは礼儀であると教わるし,それが間違っているとは僕は思わない.だけど家庭や部活など一部の場所で悪癖のように使われている気がしてならない.出されたものを完食することだけが正しさではないと思うから.体調がよくない時もあれば心がしんどい時だってある,人間なのだから.

僕は苦手ではあってもそれを悪いことだとは思わない.得意ではないからこそうまく付き合うやり方を思いつくこともある.僕は一日のうち朝と昼をコンビニで手に入る栄養ゼリーなどで済ます.夜は比較的人と食べることが多いので一緒の人に不快な思いをさせないという配慮に起因するものだけど,これもまた苦手なものとの上手な付き合い方の一つなのかなといろいろとムダに考えて思う.たまに食うラーメンは美味いしな.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?