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願いの詩

ここに一枚の色紙がある。20年近く前からずっと手元に置いてある。色焼けしており、黄ばんできてもいる。表面に毛筆で書かれた文字もだんだん薄くなってきている。
でも、そこに書かれた文字に込められたメッセージは、自分の心に光を与え続けてくれている。

四月の佳き日にうまれしこ
真に逞しく 強くなれ
詩にのこる人となれ

これが書かれたのは、昭和56年4月のある晴れた日。今から40年前。書いたのは、わたしの祖父だ。

祖父は当時47歳。すでに一人の孫がいた(わたしの兄)。2人目の孫が誕生し、わたしの両親から子供の名前を聞いて、即興でこの詩を書いたとのこと。自分の子供は3人とも娘だったこともあり、2人の男の子の孫ができたことが、よほど嬉しかったのだろう。

祖父は昭和9年生まれ。8人兄弟の末っ子で長男。勉強好きだったが、父親(わたしには曽祖父にあたる)の意向により中学卒業後から造船所で働き始め、勉強も続けたいからと夜間高校に通って勉学も続けた。
独学で始めた書道は、師範になるまで極めている。祖父宅の庭には離があり、書道教室となっていた。今でも家の玄関の横には、「○○書院」という看板がかかっている。

そんな祖父が毛筆に墨を含ませて書き付けた願いの詩。この詩には、わたしの名前の漢字が織り込まれている。
男の子らしく元気に育ってほしい、という思いが伝わってくる。
また、「人とは違うことをやらんといけん」と口癖のように言っていた祖父らしい願いも込められている。

この願いの詩が記された色紙を見つけたのは、祖父が長いガンとの闘病の末68歳で亡くなった後、みんなで遺品を整理している時だった。祖母が、部屋の奥からたくさんのノートや色紙を取り出してきた。その中には、祖父が若い頃、夜学に通っていた頃に書いたと思われる詩や練習として半紙に書かれた書の数々、またたくさんの色紙があった。ノートに書かれた詩からは、自分の意に沿わない形で就くことになった仕事の辛さ、仕事をする中で経験した社会の理不尽さな仕組みに対する強い感情が伝わってきた。
こうしたものの中に残されていた1枚の古い色紙が、私が生まれた時に書かれた願いの詩だった。
そこからは、苦しみや憤りではなく、希望や喜びが溢れ出ている。祖父の私に対する愛情を感じると同時に、生きている間いろいろな病気に悩まされ、願い通りに生活できない辛さを味わっていた祖父にも、こんな喜びに満ちた瞬間があったのだと知り、涙を流すと同時に温かい気持ちになった。


あれから20年近く経つ。祖父の願いの詩の色紙と共にずっと過ごしてきた。
自分も年齢を重ね、祖父があの詩を書いた歳に近づいている。
今の自分は「真に逞しい」と言えるほど強い人間ではない。
また、「詩にのこる人」ともなっていない。
それでも、祖父から引き継がれた命を確かに生きている。

これから先の人生において、自分がどれだけ「逞しく」強くなれるかは分からない。
「詩にのこる人」になんてなれそうもない。
ただ、これからもそばにいる大切な人を守り大切にする強さを持ち続けていきたい。
そして、愛する人の幸せを願い、祖父のようにその願いを詩にして残していけるのであれば…

願いの詩、心に持ち続けている。



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