感情を味わう
私はずるい。
昔、友達同士の揉め事があった時、
本心ではそんなこと思っていないのに
事を綺麗にまるくおさめたいから
私がすべて悪かったんだ、ごめんね。
と言ってその場を治めようとした。
昔、
父と母の喧嘩が始まると
両者どちらも自分を引かない。
だからヒートアップする。
ヒートアップすると父は力ずくで母を制す。
力では男性に敵わない
『痛いやめて』の言葉が響く。
敵わないのに、母は何故反抗するんだ、
私の心の中にはそんな想いがぐるぐる渦巻いていた。
父がいない時に私は母に
『お母さんが反抗すると、お父さんが余計に怒るから、反抗するのはやめた方がいい、』と伝えた。
今思うと、母に自分を押し殺せ、と言っているようなものだった。
娘からしたら、争いをやめて欲しかっただけだけど、
母が自分を押し殺したとしても、父の怒りは治らず、それが根本ではないことを
大人になるにつれ、理解してきた。
じゃあ、あの時どうしたら良かったのだろう。
今、母になって、夫と喧嘩するようなことがあると、
言い合いの喧嘩にならない。
それは夫が『俺が全部、悪かったよ、ごめんなさい』と言うから。
それを、聞いて私はもっと怒りが込み上げてくる、
『言いたいことがあるならはっきり言いなよ!』
私はもっと本音でぶつかり合いたい、
これが心の奥底のニーズにあった。
夫の中には私に何を言っても曲げない、ヒートアップしてしまう、という構図があるようだ。
確かに今までの私はそうで、
自分を正当化して、言われたら言い返してきた。
例え、それが理不尽な内容だとしても
感情のままに反論した。
夫はそれを分かっているから、ヒートアップする前に終わらせる術をとる。
それで、私の感情を落ち着かせようとする。
私は父でもあり、母でもある。
あの時の自分でもある。
感情で抑制する気持ちも
反論する気持ちも
本音でぶつかり合いたい気持ちも
全て味わっている。
じゃあ、家族以外の人と関わる時はというと、、、
私は争わない選択をする。
関係が浅いほど、
自分の感情を抑制しながら、相手をたてようとする。
正直でありたい自分と
矛盾している自分の感情に
混乱している朝。