見出し画像

『恋愛制度、束縛の2500年史 古代ギリシャ・ローマから現代日本まで』感想

最近、ここまで人間を翻弄する恋愛とは一体何なのか……ということをもっと突き詰めて考えたいような気になって、そんなときにお友達が本書、鈴木隆美著『恋愛制度、束縛の2500年史 古代ギリシャ・ローマから現代日本まで』を面白かったと言っていたのにつられて読みました。

こういう本なので、歴史的な部分で興味の引かれたところは己の今後の課題として心に留めておこうと思いました。
著者のキリスト教に対する見方がかなり厳しい印象を受けるなど、ところどころ「それは単なる個人の感想では」と感じるところもありましたが、それも含めて興味深かったです。

本書にある「恋愛はひとつの信仰であり、神話である」というのは私の体感でもそのとおりです。成長過程に本やテレビや漫画、あるいは伝聞で、人間は恋をするもの、それはすごく素敵なものという神話が溢れていたら、誰でも「へぇそうなんだ」って思うのではないかと。
貨幣に価値があるというのと同じで、それは社会形成や秩序にとって必要な神話なのかもしれないと思うし、必ずしも悪いものだとも思わないのですが。それが社会と人間とを縛っているとも言える。
もしそういう神話のない世界で育ったら、私たちは恋愛の概念を持たないのか、また別の形で持つのか。

古代にはロマンチック・ラブ(ロマン主義的恋愛)はなかったと思うとどんな感じだったのか想像が難しいです。でも結婚や子育てに理想を持つこともなく、近所とか親戚の家の釣り合いがとれるところで無難に結婚していたから、自分の選択としてのものじゃないんですよね。

理想化された恋愛神話によって恋愛を現実的に処理できないっていうのは興味深いですが、解決は難しいですね。理想ではなくより現実の他者を知るということに関心を向けなければならないのかもしれない。科学が信仰に成り代わったときに、現実の観察に基づいた世界の解釈を重視したように。
しかし現実の他者を見つめたとき、理想より現実の人間が魅力的か否かを考えると、また難しい。一方で、恋愛にどこまで価値があると考えるかの問題もある。

「和を以て貴しと為す」のが日本文化であるというのを読んで「え、今もそういうものですか?」と思ったのですが、思い当たるところがないでもありません。でも好きなことばかりしている私に日本人の正道がちゃんと理解できるわけがないかもしれないですね。この本にはそういう風に書いてあったな、と思うしかありません。

感想として、恋愛の形式や恋愛自体にそれほど縛られなくていいんじゃないか、と思いました。
もちろん現代日本の倫理はあるし、なんでも自由でいいとも思いませんが。どういう人にどういう形で恋をしても、歴史上には現代から見てもっとおかしな愛ももちろんあったし、「自分はおかしいんじゃないか」と変に苦しむ必要はないんじゃないか……と、ほんの少し自分の自由度が上がったような感覚はありました。恋愛の形はこれからも、絶え間なく変わり続けるでしょう。考え続けたいテーマです。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集