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日本国憲法を読む会@ZOOM まとめ

新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が出された中で迎えた、2020年の憲法記念日。外出自粛要請が出され、イベントの開催ができない中、ZOOMを使って「日本国憲法を読む会」を開催した。

この日は、前半に日本国憲法の前文、第一章、第二章、第三章を輪読。さらに、憲法制定当時の国会において行われた尾崎行雄の演説を輪読し、後半には、各自、これらのテキストから受けた印象を話した。

日本国憲法
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

尾崎行雄演説
https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/#/detail?minId=009013242X03519460824&current=2

オンラインという形式上、「雑談」がいまいち弾まないのがやむを得ないけれども、それでも、この緊急事態の中、かつ安倍総理が「緊急事態で、国家や国民が果たす役割を、憲法にどう位置づけるかは極めて重く、大切な課題だ」と憲法フォーラムにおいてビデオメッセージを送った中で憲法を読むと、そこから受ける印象は大きく変わる。

僕は、日本国憲法をテキストに『俺が代』という作品をつくっているが、劇場に集まることもできない中、その印象をゆるやかにシェアすることは、「作品」として日本国憲法を使うのとはまた異なった部分が見えてきたのではないかと思う。

以下、後半部分に話されたことを、人物が特定できない形にして掲載する。

※専門的な観点から見れば、多少事実誤認などが含まれるかもしれませんが、ここで話されたのは専門家ではない「一般人」がこの条文を読んだ「印象」です。
※分かる範囲において、正確な情報や参考となるリンクを追記しています。

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第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

昨日、ひとりで黙読してみたのだけど、今日は印象がぜんぜん違って聞こえた。9条のところで、うわっと盛り上がるようなドラマのように山場がある感じがするし、(尾崎行雄の演説で)「千古未曾有」という言葉をいい声の人が読むと、何か喚起される物がある。

宮城県では旧優生保護法の裁判が行われている(https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201905/20190529_13033.html)。かつて、障害者が不妊手術を受けさせられ、それを争っているのだが、地裁では棄却され、控訴している。

「実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」と書かれている。そのへんのバランスは良くも悪くもできていると思った。

今回、多分初めてちゃんと読んだ。実際の文章に触れたことがある人はそんなにいないのではないか。知り合いで、ドイツに住んでいた人が言っていたのが、ドイツ語を習うと同時に、ドイツ基本法を教えられ、テストにパスしなければ追試まである。言葉と同時に、人を守ってくれる憲法を学ぶ。
日本では、この憲法をどこで学んだだろう? 学んだ経験がはっきりしない。

基本的人権や平和主義などの特徴は、社会科の授業などで取り上げられたような気がするけど、実際に文章の中身まで読んだ人は少ないんじゃないか。少なくとも、私はちゃんと読んだことがなかった。

第三十八条 2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。

小学校6年生の時に、担任独自の授業だと思うのだけど、前文を暗唱した。意味や考え方はなんとなく教えてもらったけれども、あまり意味を理解せず、機械的に覚えて、テストがあった。それを思い出した。

その時はあまり気にしていなかったけど、リズムがとてもおもしろい。自分が読んだところでは、第38条の2は、普段使わない物々しい単語が出てきて楽しい。

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(総理大臣の)ビデオメッセージでも「憲法改正に踏み出さなきゃいけない」と言われていたけれども、第三章の12-13条には公共の福祉が掲げられている。

13条の「公共の福祉に反しない限り」というのは、緊急事態宣言における「私権の制限」という話になってくる。現行憲法では、個人の権利は最大限尊重されなければならず、公共の福祉は限定的。けれども、自民党の憲法草案では「公益及び公の秩序」という言葉が使われ、私権の制限について肯定的。日本国憲法とは異なる考え方。それはよろしくないのではないか。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

投票の秘密や内部告発など、意外と細かい規定がなされているのを知った。個人的に同性婚には賛成なのだけれども、同性婚ができるようにするためには、憲法を変えなければ行けないのか? と思う。また、読み進めているうちに、他の国の憲法を読んでみたくなった。政教分離をしてない国もあるだろう。大日本帝国憲法との関係も気になる。

──同性婚については、この現行憲法において「可能」という見方が優勢。

今度、日本国憲法のダンス作品をつくるので、日本国憲法と自分自身との関係を考えている。これまで、何回か読んだのだけれども、特に後半部分などは、自分との関係を理解するのが難しい。

基本的人権や戦争放棄などは、昔から当たり前だと思っていたけれども、そうでもないという現実が迫ってきている。集団的自衛権などが出てきた時に、当然と思っていたことが、そうではない方向に行くのかと思った。今日読みながら、放っておくと当然が当然じゃなくなるからルールを決めているんだと思った。

尾崎行雄の演説の中で、いい憲法があってもいい国になるわけじゃない。その行いをどうするかのほうが重要だということを話していたけれど、憲法の中には「何を当たり前にしたいか」を書いてあるんじゃないか

私の場合、憲法前文に書いてあることは賛成する。けれども、戦争を経験している世代は「崇拝」みたいな感じがする。きっと、憲法は画期的なことだったという感覚があるんだろう。私の場合は、もう少し生活の横にあるような距離感。

自分の生きてきた中でも、憲法に対しての距離感は変わってきているし、見方も変わってきている。改憲について現実味を帯びてきているし、どうすればいいんだろうな……というか。

基本的人権までで40条しかない。そんなに短かったんだという印象。
刑罰のように細かく規定されている部分もあるし、ざっくりとした理念として書かれている部分もある。最高法規なので、同じ量、質で書かれている印象があるのだけれども、密度やボリュームにムラがあるという感じを受けた。

公共の福祉を規定する第12条には〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕と書かれている。これまで、これが「義務」としてピンときていなかった。「義務」というところに、改めてへえと思った

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

「絶対」という言葉がここにしか書かれていない。
永久と言った言葉も使われているけど、「絶対」という言葉は、それらよりも強い印象を受けた。

また、「この憲法が国民に保障する基本的人権」など、保障という言葉がいくつか使われているけど、誰が保証してくれるのだろうか? 憲法の権化みたいな人がいない印象を受ける。誰か、命を賭してでも憲法を守ってくれるのか?

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

一般市民はこの憲法を尊重する義務はないのか。公務員は、「国民に義務を負わせる義務」があるのか?


最近「忖度」という言葉が一般的になっている中で、建前上関係ないと言えるけれども、そこに繋がりが絶対にあるはずということがよくある。「自粛要請」なのだから、自粛をしなくてもいいけれども、自粛をしなければ将来的にペナルティが課されるような……。書いたことによって縛られるから、ゆとりを持って書かれているのか。

ほぼ初めて読んだけれども、めちゃくちゃ面白い。先入観では、もっと難しくてわけがわからないものかと思っていたけれども、意外と分かるし、丁寧。言葉のチョイスも面白かった。私でこれだけ分かるなら、みんなに知ってほしいと思った。

ほぼ初対面の人達の中で回し読みをすると、憲法を受け入れるとともに、その人達の個性を受け入れることになる。面白い体験だった。

議論をするかしないかは別として、知らなかった人がライトに知るだけでも日本の民度が上がりそう(笑)。

第二十九条 3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

私有財産は公共のために使っていいんだ。でも、「正当な補償」というところがポイントになっているのではないかと思う。正当な補償が通らないから「自粛」なのかな……と思う。

憲法の中に出てくる「何人も」と「国民」の違いはなんだろう?
英語だと「何人も」は、No person shall be になっている。国民以外を含むか含まないかということ?

追記:実は、これはあまり意味がないとされている


尾崎行雄は「抱負」を指摘している。「憲法を変えるだけではいい国はできない」という趣旨の言葉には、国会議員をやっていたリアリティがある。憲法の解釈も大事だし、読むことも大切な一歩。でも、その先のビジョンやどういう世の中で人生を歩みたいかを考えないといけないんじゃないか。

政権が憲法を捻じ曲げたり、でっちあげるのはよくあること。それを踏まえて、自分なりの抱負やビジョンを持たないといけないのではないか。

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Yuta Hagiwara
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