進化する行動療法-行動科学の歴史
お久しぶりです。心理系専門職をしている湊ノドカです。
最近めっきり投稿が減っていましたが、ここしばらくで学習したことをまとめて記事にしてみたいと思います。
今回の記事内容は今までと比べると直接実生活に役立つものではないかもしれません。ただ、直感に反するけど科学的に見れば正しい、という内容も多いので、ちゃんと理解して使うことができれば皆さんの生活に役立てられるところも多いかもしれません。
記事の内容的に知的好奇心を満たす面もあると思うので、専門知識のことはちょっとなあ…と思う方も読んでみて頂ければと思います。
心理職の方や心理系の学生の方でも、行動学派でない方にとっては知らないこも多いかもしれません。よろしければどうぞ。
今まで知られていなかった「学習」の様式
この記事では「関係フレーム理論」のことを書きたいと思っていて、これが新しいタイプの「学習」だということなんですが、ある程度の前提がないと話が成立しないなあ…と記事を書きながら思いました。
その為、行動分析学が成立してきた1960年代頃→現代に向けて歴史を進んでいく感じで書いていこうと思います。
その辺りの前提部分は既に知っている方は読み飛ばしていただいて、本題の方の次の記事から読んでいただければと思います。
「学習」についての歴史
古典的な「行動分析学」は、皆さんもご存知の「パブロフの犬」という条件反射(古典的条件付け)の実験(1900年頃)や「スキナー箱」のオペラント条件付け(1960年頃)のような動物実験から始まっています(リンクはwikipedia)
こういった実験によって、生物がどのようにして状況や環境に対して反応(行動、適応)するのかを解き明かしていき、最終的には人間の心を解き明かそうと考えたのが、行動分析学です(ちょっと乱暴な要約ですが、まあそんな感じです)。
行動分析をはじめとした行動科学では「学習」という概念が非常に重要です。ここで言う「学習」という言葉は、日常で私達が使っているものとは少し意味合いが違っているので少し注意が必要です。
先に挙げた「パブロフの犬」「スキナー箱」の実験、またそれと似たシステムで起こる「学習」の例をいくつか挙げてみます。
例のなかの共通するところをくみ取っていただけたらと思います。
パブロフの犬実験では
犬にベルの音を聞かせる
ベルの音の直後に犬に餌を与える
1-2を繰り返し行う
実験以前、この犬にとってベルの音は特に意味を持たない刺激に過ぎなかったのが、ベルの音と餌が繰り返し同時に提示されることによって、ベルの音=餌という「条件付け(AがあればBがおこるという流れ)」が「学習」されました。
この「学習」をした犬にとって、ベルは単なる音ではなく「餌の合図」という属性を併せもつようになります。
職場で上司から叱責される場面
今度は日常的な場面に視点を移してみます。職場で特定の上司から繰り返し叱責を受けるようになった社員Aさんがいたとします。
最初Aさんにとって、その上司と顔を合わすことに特別な意味は無い
ある時期、Aさんは特定の上司から叱責を受ける
叱責が何度か繰り返されることで、Aさんはその上司を見かけるだけで、気分がすぐれず胃痛や吐き気を催すようになってしまった
以前のAさんにとって、この上司は特別な意味合いは何もなかったのですが、同じ上司から繰り返しの叱責を受けたことで、上司=叱責されるかも…というある種の条件付けに近いものが「学習」されたと言えます。
スキナー箱の実験では
レバーを押すと給餌装置から餌が出てくる実験装置「スキナー箱」に、ハトを入れる
ハトは自由に箱の中を行動できる。その中でレバーを押すと給餌装置から餌が出てくるという体験をする
レバー=餌の体験を繰り返すうちに、ハトは意図的にレバーを押して餌を得るようになる
ここでは「レバーを押す(行動)」と「餌が手に入る(結果)」という一連の流れが「学習」されるということになります。
ガチャ依存
再び現実的な場面を想定します。ソシャゲのガチャをしていると想像してみてください。
新しく始めたソシャゲでガチャをしてみた
演出がすごくてテンションが上がる。なおかつレア度の高いものを引くことができた。さらにテンションが上がる
偶然、最高レアを3度も続けて引いた
もう皆さん想像できますよね。ガチャでめっちゃ良い当たりをひくことが繰り返し起こることで「ガチャをひく(行動)」と「最高レア!テンションがあがる。嬉しい(結果)」という一連の流れが「学習」されます。
ただ、スキナー箱のように100%餌がでるのと比べ、ガチャのアタリ確率は低いこと、ガチャを引くのに石や現金が必要になること、そもそも人間には他の楽しみも多い等々、条件がかなり違うのでこの「学習」が成立・または持続する可能性はそこまで高くはありません。
余談になりますが、ガチャのような(競馬等ギャンブルも含む)システムは「条件付け」が成立すると、それを消去しずらいものだと知られています。
また、アメリカのドラマ等では、ゲームの開発段階で行動科学者を呼んで条件付けが上手く行くようにさせたり、依存性を高める工夫をさせたりという描写が出てくることもあったりします。「学習」って実は知らないところで使われていたりするものなのです。
様々な例を挙げましたが、なんとなく「学習」ってどういうことを言っているのかは掴んでいただけたでしょうか?
とても単純化して言うと
「学習」とは「こうなったら、こうなる」という流れを身につけること
だと言えます。
行動分析学は、この「学習」の理論を使って、人(生物)の未来の行動・反応を「予測」し、適切な「影響」を与えようとする学問だと言えます。
これを精神的な症状の治療に適応したものが「行動療法」です。問題行動のある子ども等を対象に適切な介入をする技術体系は「応用行動分析」と言います。その他にも行動科学から派生したものは沢山あり、教育、医療、マーケティングなど様々な分野で利用されています。犬やイルカの訓練だったり動物の訓練や躾などは、まさにこれらの知見そのものと言えます。
古典的行動分析学の成果と問題点
こういった動物についての「条件付け」や「学習」というのは心理学のなかでは、科学としての精度がかなり高いものです。
心理学関連の研究業績では殆どノーベル賞の受賞はありませんが、唯一受賞したのがパブロフの条件反射の実験だけだとされています(後世で倫理的問題が指摘されていますが…)。
皆さんも恐らくご存知であろうフロイトの精神分析学も受賞していません。精神分析は、実験による再現性の無さ、客観的に反証不可能であることから、一部ではこれを科学とみなさない向きさえあります。
一方、行動分析学や行動科学の実験結果は、再現可能で、客観的な反証も可能であり、科学としての性質を満たしてるとされています。心理学関連の学問のなかでは、行動科学が最も科学としての性質を満たしているもののひとつと言えるでしょう。
行動科学(行動分析学)は1960-1970年代頃にかけてかなりの業績を積み上げますが、問題点も出てきます。
動物の行動を予測し狙った通りの影響を与えることは高い精度で可能だったのですが、対象が人間、特に年齢が上がるにつれて動物ほどの成果がでなかったことです。
また行動科学に批判的な立場の者から、言語や思考といった人間に特有の高度な認知機能について十分な説明が出来ていないと強烈に批判もされます。
(それでも強迫症と言われる精神疾患等にはかなり有効でした。現代でもこの疾患の第一選択肢は「行動科学」を基にした「行動療法」です)
行動科学はこれまでの実験結果の積み重ねによって、人間やその他の生物が新たな「行動」を獲得する過程を、「学習」の仕組みを使って説明することに成功してきました。
しかし、当時の行動科学は、人間特有の言語行動や思考や感情といったものの獲得過程を説明することができなかったのです。
私達の感覚からすれば言語や思考や感情は行動ではない気がしますが、行動主義者は、言語という行動、思考という行動、感情という行動をしている、という捉え方をしており、これらを行動の一形態として取り扱おうとしていました。
行動分析学の創始者のスキナーは、これらについて説明する説をいくつか出していますが、それでも多くの研究者たちを納得させる説明をすることができませんでした。
認知心理学の出現と台頭
一方で、1970年代頃より、世界的に情報処理モデルが流行り、情報処理モデルを組み入れた心理学=認知心理学が生まれます。
これは行動科学の一部である新行動主義学派と近い考え方のものでした。
新行動主義の考え方とは、ある「状況」を受けて「行動」に移すまでの中間に「ブラックボックス(≒認知)」があるが、現状ではこれを解明しようがないよね、だから一応「行動」を研究しようというものです。
一方、認知心理学の考え方を端的に表すと「状況」→「認知」→「行動」というもので、主な研究対象は「認知」です。「認知」の仕組みを解明すれば「行動」も分かるといった考え方と言えるでしょう(ただし、認知療法の創始者のベックをはじめ、「認知」が先で「行動」が後なのか、またはその逆なのかはまだ分からない、と慎重に考える者もいます)。
認知心理学は、新行動主義がお手上げにしていた「ブラックボックス」≒「認知」について研究する情報処理モデルを持っていたので、認知心理学を行動主義の上位互換的に考える方もいます。
また認知心理学は人間の思考や言語についてのモデルを説明しています。これは多くの人にとってそれなりに納得できるものである為、現在も認知心理学は強い影響力を持っています。
そして1970年代から認知心理学の地位は向上していきました。
また同時期にアーロン・ベックが認知療法というパッケージの心理療法を創っています。ベックは認知療法の祖として知られていますが、精神分析の教育を受けてきていることや、精神分析を発展させて認知療法に至った等の言及もしています。
その為、科学的な心理学という志向が強い根っからの行動学派の者は、認知療法は科学的ではない、行動学派のみが科学的である等と主張するものもいたりします(僕自身はそこまで思いませんが…)。
ただ、認知心理学が主に対象とするのは、人間の高次認知機能である「認知」で、依拠するのは情報処理モデルです。
学習理論に基づき、生物の将来の行動を予測して適切な影響を与えることを目的とする行動分析学とは、方向性が異なります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?「学習」がどんなものか、どういう経緯や問題があるのかは掴めたでしょうか?
ざっくりとした流れを振り返ってみると以下のようになります
動物実験によって「条件付け」「学習」の発見
これを利用した治療や様々な技術の発展(行動療法、応用行動分析等)
人間の言語、思考、感情とかの成立について、「学習」モデルはちゃんと説明してなくね?という疑問
行動科学者たちは「学習」を用いて説明するが力及ばず
認知科学の隆盛
一旦冬の時代にはいった行動分析学は地道に基礎研究を積み重ね(どうやらそうらしいです)、より強力な説明力をもった理論との統合に至ります。これによって過去に答えられなかった問題点を解決していきます。
次の記事でその辺りから最近までの流れ、つまり記事冒頭に書いた新しいタイプの「学習」のことを書いていきたいと思います…。
前提でここまで長くなるなんて思ってなかったんですよね。すいません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回を期待していただけると嬉しいです。