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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.74「モモ」

忘れると早く進む。意識すると遅く進む。時間というのは、なんとも奇妙な性質を持っている。

1976年に書かれた児童文学書。灰色の男たち(時間どろぼう)と、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子(モモ)のふしぎな物語。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした。
(中略)
けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。
-第6章 インチキで人をまるめこむ計算-
「そうじゃないんだよ、モモ。この時計はわたしが趣味であつめただけなのだ。時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象(かたど)ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間をかんじとられないようなときには、その時間はないもおなじだ」
-第12章 モモ、時間の国につく-

時間は生活であり、それを感じる取るのは心であると。人間には五感というものがあるけれど、第六感は心にあったのか。良く「感じ方は人それぞれ」という言い方をするけれど、時間の感じ方は心にあったのだ。

僕は気づくと「あ、もうこんな時間!汗」ということが良くある。いや、むしろいつもそうだ。そのために、タイマーをかけたり、アラームをなるように設定したりもしていたけれど、そもそも「管理すべき」という前提から考え直してみたいなと思った。それこそ、子どもの頃は「暗くなったら家に帰る」という、自然に身を委ねた生き方をしていた。たまにはそんな日もあってもいいのかもしれない。

「忙しい」というのは「心」を「亡くす」と書くんだよと、どこかで誰かが言っていたことを今、思い出した。心を亡くすことを忙しいと呼ぶのなら、心を亡くさない限りは忙しくはない。心は感じ方だというのであれば、一つ一つの出来事に対して、しっかりと感じること。味わうこと。そうすれば、心を取り戻せるのかもしれない。


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野見 将之
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