『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.2「ほかならぬ人へ」
乗るほどの調子もないですが、少々の調子にだけ乗って感想文vol2を書きます。
白石一文さんの
「ほかならぬ人へ」
を読みました。
第百四十二回直木賞作品なので、読まれた方も多いかもしれません。
忘れえぬ人との恋愛模様、その時にそばにいた人のぬくもり。
正直、読んでいて胸が痛くなりました。
そんな僕の胸を突き刺した、男女の三角関係を見事に表現したシーンがこちら。
この世界の問題の多くは、何が必要で何が不必要かではなく、単なる組み合わせや配分の誤りによって生まれているだけではないだろうか。
これが必要な人にはあれが、あれが必要な人にはそれが、それが必要な人にはこれが渡されて、そのせいで世界はいつまでたってもガチャガチャで不均衡なままなのではないか。
どうやったらそれが「ちゃんとした組み合わせ」になれるのだろう?
いやー、切ない。
愛しさと心強さを足して2を掛けても足りないくらい切ない。
ほんとに、これありますよね。
「自分が好きな人は振り向いてくれないのに、自分がそんなに好きでもない人からは好かれる」という、あの謎の現象。
自分の話しで恐縮ですが、僕、なぜか「おばちゃん」からはめっちゃモテるんです。同世代の女子からは見向きもされないのに、なぜか「おばちゃん」からは鬼のようにモテるんです。
「おばちゃん」とかどうでもいいから、同世代(あるいは下の世代)にモテたかったのに。
「あー、生まれるのがあと20年早かったらなー」とか、マジで悩んだこともありました。
だから
「どうやったらそれが『ちゃんとした組み合わせ』になれるのだろう?」
というのは、本当にそう思うというか。
凸と凹がピタッと合うことなんて、現実世界では少ないんだろうな。
だからこそ、待ちに待ったテトリス棒が降ってきたときが、気持ち良いのだと思う。
って、ここまで書いて思い出したのですが、そう言えば昔、ACジャパンのCMでこんなのがありました。
「セトモノとセトモノと、ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう。
どっちかやわらかければだいじょうぶ。やわらかいこころをもちましょう。そういうわたしはいつもセトモノ」
なんか自分で書いておいてアレですが、凸凹の例えでも、テトリスの例えでも、なぜか「同じ強度」って、思い込んでいたけれど。
「どちらかがやわらかければだいじょうぶ」なんですよね、きっと。
だから、「形を変える」とか「相手に合わせる」とか「受け入れる」とか、もしもそれが出来たら、「ちゃんとした組み合わせ」に、なれるんじゃないかな。
つまり「ほかならぬ人」って、「この星の1/70億の中から自分にピッタリと合うひとを見つける」ということではなく、「結果として人生を振り返ったときに、自分のそばにいてくれた人」=「結果的に受け入れられた人」ってことになるのかなって。
そんなことを思いました。
今日からもう少しだけ、「おばちゃん」に優しくしようと思います。
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