『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.81「ゴリラからの警告」
「俺、ゴリラになりたいんだよね」
唐突に友人が言った。僕は一瞬何を言ったのか理解できなかったけれど、彼の目を数秒見つめたあと、そっと彼を抱きしめた。
彼だけではなかった。ゴリラになりたい人が他にもいた。しかも、コンゴで実際にゴリラと共同生活をしたらしい。行ってQの番組ロケではなく、ガチっぽい。どんな人かと思ったら、京大の教授だった。この世は広い、本当に。
私が研究しているゴリラは、19世紀にアフリカの奥地で欧米人に発見されて以来、好戦的で凶悪な動物と見なされてきた。それは初期の探検家たちがつくり上げた物語がもとである。その話に合わせてゴリラはキングコングのモデルとなり、人間を襲い、若い女性をさらう邪悪な類人猿として人々の心に定着した。そのため、ライオンやゾウと同じような猛獣と見なされ、盛んに狩猟された。
(中略)
人間は話をつくらずにはいられない性質をもっている。言葉をもっているからだ。私たちは世界を直接見ているわけではなく、言葉によってつくられた物語のなかで自然や人間を見ているのだ。言葉をもたないゴリラには善も悪もない。自分たちに危害を加える者には猛然と戦いを挑むが、平和に接する者は温かく迎え入れる心をもっている。過去に敵対した記憶は残るが、それを盾にいつまでも拒絶し続けることはない。人間が過去の怨恨を忘れずに敵を認知し続け、それを世代間で継承し、果てしない戦いの心を抱くのは、それが言葉による物語として語り継がれるからだ。
人間は自分が知らないものに対して恐怖を抱き、勝手に敵とみなし、攻撃を加える。それは現代のインターネット上に巻き起こる誹謗中傷や、国同士の争いを見ていても変わらない。あるいは新型コロナウイルスに関しても同様だ。しかし、その原因の多くは「知らない」=「怖い」というだけな気がする。結局「こういうことだった」というのが分かれば、争う必要はないし、怖くなどない。となると、一にも二にも「知る」「理解する」ということに徹する必要がある。これは1対1の人間関係においても同様だろう。
僕もこの本を読むまでは、ゴリラは怖い動物だと思っていた。けれど、知れば知るほど、愛おしさを感じる。共同生活を送るほどの勇気はないけれど、今度からゴリラを見る目は間違いなく変わると思う。
「ゴリラになりたい」と言った友人の気持ちも、もっともっと理解してあげたくなった。
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