『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.36「her-世界でひとつの彼女-」
「ロボットを好きになることができると思う?」
その昔、Aibo(アイボ)という犬型ロボットが登場したときにブームになったことがあって、それから時が経って「廃盤になってしまったAiboをどうしても修理したいという依頼が後を絶たない」と、ニュースになっていたことを思いだした。僕は持っていなかったけれど、どうしても修理に出したいということは、十分に感情移入が出来ている証拠じゃないかなと、そんなことを話したら、この本を紹介された。
苦楽を共にしてきた奥さんと別れ、悲嘆に暮れていた主人公はある日、人工知能型OS“サマンサ”と出会う。声だけで実体のない彼女の魅力の虜になっていく中で、様々な感情が揺れ動くラブストーリー。もしかしたらこんな未来が来るのだろうか? 複利的に進化する現代の人工知能の技術に、無限の可能性と少しの恐怖を感じながら一気に読んでしまった。
僕は謝ったことがあっただろうか。関係を修復するための方便としての謝罪ではなく、心から謝罪したことが。いまさら言っても遅いのだろうか? いや今だから意味のあることなのだ。
何か嫌なことがあると、正面から向き合き合うことなく、逃げてきた彼の自戒の一節。心からの謝罪、という言葉を意味を何度も反芻した。
僕自身どうだろう。心からの謝罪とは、どのようなものだろうか。もちろん、謝罪したいと思ったこと、実際に謝罪をしてきたことは星の数ほどある。でも、心のどこかに「しょうがない」という気持ちもきっとあって、心からの謝罪の難しさを同時に考えてしまった。
反省は「省みる」。「謝罪」は「謝る」。どちらも「過去」に向けての言葉だ。これまでのことと、これからのこと。そこに線を引くことで、これらの言葉に意味が生まれるのだとしたら、そこに引く線には「心」を伴わせなければならない。だから「心からの謝罪」とは、「心を伴わせて過去と未来の境界線を引く行為」とも言えるのかもしれない。もしもその境界線に心が伴っていないとしたら、その線はひどく曖昧で、不明確で、すぐに消えてしまうものだから、少し時が経つときっとまた同じこと(過去)を繰り返してしまうのだろう。
もしもロボットを好きになる時が来るとしたら、きっとそこに「心」の境界線を引けるようになった時で、その線を引くのはロボットではなく自分自身だから、冒頭の問いに対しての答えは「自分次第」という、なんとも非人工的な回答に着地したところで時間オーバー。人間はやっぱり難しい。