『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.25「終末のフール」
「ノストラダムスの大予言ってあったよね」
1999年に地球は滅亡する。まことしやかに信じられていたそんな話も、今となっては遠い記憶だ。でも当時は本気で信じていた人もたくさんいて、それこそ全財産を使い果たしちゃった人とかもいて、あれっていったい何だったんだろう? 別に今さらそこに答えを出すことに意味はなさそうだけれど、無理やりにでも何かひねり出そうと試みたときに、友人がこの本を紹介してくれた。
八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから五年が過ぎた頃。当初は絶望からパニックに陥った世界も、いまや平穏な小康状態にある。そんな中で巻き起こる、家族の再生、新しい生命への希望、過去の恩讐。終末を前にした人間は、何を思い、どう生きるのか。一つ一つの物語りが、まるでそこにある現実世界のようで、「もしも自分だったら」を都度都度考えさせられながら一気に読んでしまった。
「小惑星は落ちないかもしれない。そうだろ? 大丈夫だよ」
僕は、自分がまさかこうも物事を断言できる日が来るとは思ってもいなかったので、嬉しかった。和室の仏壇、母の遺影に一瞥(いちべつ)をくれ、どうだ、と胸を張るような気分になる。
-太陽のシール より-
地球滅亡まで残り三年となったときに妊娠した子供を産むか産まないか。ずっとこれまでの人生において優柔不断で生きてきた主人公が、自分の意思を表明できた瞬間。胸を張りたい気持ちが痛いほど伝わってきた。
正解、不正解に関わらず、人は「自分で決断した」と思えることには責任を持とうとする。だからこそ「自分で決める」ということに、多くの人は抵抗を示すのだ。しかし、その一切の責任を引き受ける覚悟を持った上で「こうする」と決めることこそ、人生の醍醐味ではないかと、今にしては思う。
自分の人生の主人公は、他ならぬ自分だ。誰も責任など取ってはくれない。何が起ころうが、どう生きようが、全ては自分の人生なのだから、やはり「これで良いのだ」と断言できる人生を僕は歩んでいきたい。これからの未来だって、どうなるかなんて分からないけれど、少なくとも後悔だけはしたくないから、自分が信じたいものを信じて生きていこう。
それでいい。それがいい。