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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.92「京大的アホがなぜ必要か」

ジャケット買いならぬタイトル買いをしてしまった時に「やられた!」と思ってしまうときがあるのだけれど、今回もまさにそれだった。

ムダと変人が世界を変える。選択と集中が社会を滅ぼす。これまでの常識が通用しない時代における僕らの(特に僕のようなアホの)生存戦略について、京大変人講座の教授が教えてくれる価値ある一冊。

「キリンの首はどうして長くなったのか?」
進化論の話で必ずといってよいほど出てくる問いかけがこれです。

(中略)

しかしこれはじつのところ、問いかけ自体が進化論に対する典型的な誤解を含んでいます。というのも、「どうして?」という質問が求める答えは、その「目的」です。

つまりこの問いは、「キリンの首は何のために長くなったのか」を聞いているわけです。

でも、そこに目的はありませんでした。「高い木の葉を食べるため」と答える人もいますが、それは間違いです。キリン自身が「みんなが食べられない高い木の葉に届けば得だから、いっちょ首を長くしてみよう」などと進化を「計画」したわけではありません。

ではどうして親と違う形質の子が生まれるかといえば、それは遺伝子のミスコピー(突然変異)という「失敗」の結果です。

したがって、質問者の意図とは別に「キリンの首はどうして長くなったのか?」にそのままストレートに答えるなら、「ちょっとした間違い」となるでしょうか。

つまりキリンの首が長くなったのは、「目的」ではなく「結果」にすぎないのです。

(中略)

ですから冒頭の質問は、「キリンはどうして首が長くなったのか?」ではなく、「どうして首がながくなってしまったキリンは生き残れたのか?」と問うべきでしょう。

そして、それに対するもっとも端的な答えは
「結果オーライ」
です。

(中略)

キリンに限らず、あらゆる生物進化は「結果オーライ」にすぎません。

これに関しては僕もずっと勘違いをしていました。

「高いところの木の葉を食べるために、首を長くした」と思っていたし、そう聞いていました。

でも、違うんですね。

「間違って首が長く生まれてしまったキリンが環境に適していたからたまたま生き残れた」

というだけだった。

つまり、全ては「結果オーライ」なのだと。

そう考えると、「変わりたい」って思うこと自体が、難しいというか、無理な話で。

そうじゃなくて
「今のままでも生きられる環境」
っていうのが、一番大事なんだろうなと。

で、そう考えると、世の中に言われる
「努力」
の定義を変える必要があって。

それは、例えるなら
「魚が陸でも生きられるような努力」
ではなく、
「陸で生まれてしまった魚が海に行く努力」
なのかもしれません。

自分が生き残れる場所。
自分が生きたいと思える場所。

僕は自分自身を「遺伝子コピーエラー」だと自覚しているので、世間一般的なまっとうな人生を歩むことを諦めました。

これからも、たくさん無駄なことをするし、アホな生き方をするけれど、そうやってこれからの予測不能な未来を楽しんでいけたらと思っています。

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野見 将之
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