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翻訳
今、エーリッヒフロムの『愛するということ』を読んでいます。そういえば知り合いが読んでいたな、くらいに思ってAmazonのprime readingでお借りして。
ところどころ(母親と父親とか男性と女性とか同性愛について等々)、同意しかねる部分もあるのだけれど、資本主義社会における消費者としての位置付けというか、そういったものは心の底から納得してしまいました。そう、私たちは考え方も消費も、そして接し方でさえも商品化されたものから選び、その商品が自分の中から生まれ出でたものだと勘違いすることでなんとか生きながらえている。そんな風に思います。
愛するということ。原題は『The art of love』。愛の芸術。愛の術、愛の核心、愛の表出、それが愛するということ。なるほど、愛の核心に迫っているから本質としての表現で『愛するということ』。愛すること、ではその愛することの行為に意味が及んでしまうので、愛するということ、にして愛するというその本質について語っているのですよ、としたということか。ふむ、翻訳の世界は奥深い。
実は翻訳された小説を読むことがあまり好きではありませんでした。
というのも、原文が至高だと思っていて、英語の原文や多言語の原文は読めないもんだから、日本語のものばかり読んでいました。あほ。
古典などは読んでいましたが、最近の海外文学はあまり食指が動かなかったのも確かです。
ところがどっこい、翻訳ってびっくりするほど面白い。最近では翻訳された本を読み、原文はなんとなくこんな感じだなとか、そういったことを考えます。
英語と日本語は語順が逆さまですから、英語の文の強調が日本語では上手くいきづらい。それを千切っては投げ千切っては投げ翻訳をしている人がこの世にいて、そのお陰で母国語で理解を深めることができるなんて、なんて素晴らしいことなんでしょう!
最近では『Dune 砂の惑星』を読んだのですが、超重厚SFの翻訳ってすごい。最後には用語を訳した際の翻訳者のコメントなんかが載っていて、「これは一般的にはこうだが、文脈上このように訳すことにした」などキまった覚悟を表明なさっていました。
その時にはふうん、くらいにしか思っていなかったのですが、今は翻訳を結構楽しいなと思いながら、自分がやっております。
本当に不思議なもので。
英語のちょっとした翻訳を今させてもらっていて。もちろんど素人なので、先生がいてくれてやっています。仕事という訳ではないけれど、責任はちょっと付随している、そんな感じです。
直訳はダメだけど、英語で考えた時の流れは変えたくなくて、日本語には助詞がある!語順を好きに変えられる!なんて思って、キまらない覚悟で訳してみています。
(2年前では思いもよらぬ展開になっており、自分でも去年一年を振り返ってみて、その変わりようというか、変遷に驚きを隠せません。
ただ、2年前になんとなくこうなりたいなあ、みたいな方向には少しずつ進んでいて、人生の面白さみたいなものを感じています。)
人生、何が起こるか本当にわからない。だから辛い、けれど楽しい。
想像した通りになったら、何もかもが快いでしょうが、学べることも少ないでしょう。想像できないことが起きるからこそ、学んで向上していけるのかななどと思っています。