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ペンギン・ハイウェイ(森見登美彦)と、変化する私


本作の話はあんまりせず自己分析に終始するとおもいます

▼ペンギン・ハイウェイ


昨日、仲の良い友人とともにアマプラで見たので、日記のような記録です。
わりに本作は、小学生ながら変わった主人公アオヤマくんの視点で織りなされる話です。


原作が好きです。
当時放映されるのが、あまりに楽しみで、レイトショーで元彼と見ました。
ひとりで行動するには子どもで、自分の特徴と人の特徴の区別がついていなかった私は、
彼もこの映画を見て楽しいだろうと誘ったのです。


終幕まで2時間弱、私はずっと、主人公の思考回路に共感し、わくわくしながら見ていました。
しかし終幕後、カラッと笑った彼に、
「ペンギンはかわいかったけど、正直全然意味が分からなかったよね!」と、感想を一蹴されたことだけ覚えています。

そうじゃないと言えたらよかったのかもしれませんが、いや、あの私では言えなかったろうな~。
そうじゃないと言ったところで伝わらなかった人だと思ってもいます。
人の相互理解は難しいことと知っています。
感覚の違いは悪いことではありません。
しかし、アオヤマくんと私がした思考の体験と、アオヤマくんと私が見つけたかった世界の果ては、
「いま現在の私と同じ年だった、あの頃の」彼には、ひとつも伝わらなかった。

彼の感覚に上書きされた私の感覚に、口を噤んだ。


自他境界って大事だよ!??


だからって、どうと言うわけではないですが、
好きだったのにそのあと視聴を封印していました。
自他境界が非常にあいまいだった私は、「自分の好き」を封じ込め、他人の言いなりになっていきました。
良くやったよな。あほだわ私。


あれもう5~6年前の出来事かあ~。
時を超え、昨日、親しい友人と「映画でも見るか」という話になり。
彼女の希望で1本、私の希望で1本見ました。

彼女の希望はすみっコぐらしでしたので、
すみっコぐらしをふたりでやいのやいの言いながら見終わり、昼ご飯を食べたあと。
前置きとして、「私は好きで面白いと思うけど、以前よくわかんね~と言われたよ」と伝えたうえで、
彼女の手によって再生されたそれ。


すみっコぐらし視聴時よりもお互い無言になる私たちは、
森見先生の書く現実とフィクションの隙間の、ハイウェイに引き込まれていく。
移り変わる夏の青さと、厚い雲の薄暗さ。
昔に小学校中学年だった自分にとって、身に覚えのある夏休みの感覚。
人を刺す日差しと、水の生ぬるさ。みたいな。

ちょうど気温が体温並だった自室のベッドの上で、登場人物と同じ感覚を味わって、
残り45分くらいで、「これハッピーエンドになる線が見えない…」と怖がりながら言う彼女に、ただ笑いながら。


いや~~~~~、やっぱりよかった!!

彼女の感想は置いておいて、私というものはあの作品が好きでした!!
自分自身の自他境界の成長や、アオヤマくんという人物の「私との近しさ」、
できあがった世界観「森見先生への共感」など
すべてにおいて解像度が上がっていました。

彼女はちなみに「わかりやすい内容も好きだけど、こういうのめちゃくちゃ好き~」だったようですw
よかったね、あの頃の私。

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