メンヘラちゃんの自傷のおはなし


今回は、メンヘラちゃんが語る「THEメンヘラ自傷論」をくりひろげようかと思います。というか、書いているうちにそんな記事になったので、メンヘラに理解のある方、自傷を知りたい方、もしくは耐性のある方のみお進みください。写真は載せてません。でも、不快になっても責任とれません。


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私は自傷行為をする系メンヘラです。誰かに予告などはしません、1人で勝手にやります。信頼していた主治医が「報告しなさい」と言っていたので、その先生にかかっていた時だけ、きっちり事後報告していましたが。(その後の行動を指示されてた)

自傷行為とは、自分自身で自分自身を傷つける行為のことを言いますが、私の場合、リストカット等のカッティング、瀉血、をします。実はここ1年半ほどどちらもやっていないのですが、自傷行為依存症なので(克服したとは思っていないので)いつかまたやると自分で思っています。他人に手を出すわけではないのに何が悪いの?と根本で思っている節があるので『やめたい、他の手段で昇華したい』という気持ちはあっても、『もう絶対しない』という決意までには至っていません。決意をしてやってしまったら、激しい自己嫌悪に陥ることが分かっているので、決意をしないことでそこから逃げている面もありますが。私、守れない約束はしない主義なので。

あと、昔は、食べ吐きもやっていました。自傷ともちょっと違うけど、私の事を「回避性パーソナリティ障害」と診断してくれた先生は、あなたの場合は拒食も過食も全部自傷的な意味合いでやっていると思います、とおっしゃっていました。拒食MAX期は、半年くらいあったのですが、野菜ジュースとゼリー飲料で数日過ごしたり、朝5時から2時間ランニングして学校行ってバイトして深夜2時ごろに寝るような生活をしたり、今考えても、よく倒れなかったな?と思いますが、メンヘラちゃんは健康で(そういう意味では)運が良いので倒れません(笑) 過食が酷くなったときはテレビの大食い芸能人並に食べて(たまに吐いて)いました。最近は、吐かなくなりました。(おかげで昨年30kg増量w)

そして、若い頃は本当にひどいミュンヒハウゼン症候群だったので、さすがにココにも書けない色んな事をやりました。出禁になった病院もありますw

(ミュンヒハウゼン症候群は診断されたこともないし、摂食も自傷も一種のミュンヒハウゼンと言えばそれまで、私自身も「かまってちゃん病」であることは自覚しているので、あまり深く掘り下げませんが。)

瀉血って血を抜くんですけど、私が一気に抜いた最高記録は1.5ℓくらいです。死にます、マジで。いや、でも生きてます、マジで(笑) 私、ズボラな性格過ぎて、あまり細かなカウントが苦手で、多分これ位かな?みたいなアバウトな世界線でいつも生きているのですが、お茶のペットボトルに貯めていた血液がそのペットボトルからあふれて受け止めきれなくなったのでやめた、というのが一回最大量です。数十分で一気に抜くので、当然気分が悪くなってその場から動けなくなります。独り暮らしの狭いワンルームの数m先のトイレまで、それこそ何十分もかけて這って行くような状態になります。文字にするとほんと馬鹿げたことをやっていますが、冗談じゃなく本気でやっています。得体の知れない何かに憑りつかれたかのように、狂ったように抜いていた頃もありました。もちろん、コントロール等できないタイプなので、強制的に入院になります(笑)

「そんなに血ぃ抜いてたら、なくなっちゃうよぉー。吸血鬼飼ってるんじゃないんだからさぁ」

とは、当時の主治医の名言(迷言?w)です。それでも、入院前夜に抜いてフラッフラとか、ね・・・色々ありました。最近はやってないですけど。

リストカットのほうは、いろんなとこを切っている過程で、左前腕しか自分の中で満足いかなくなり、そこしか切れなくなり、縫ってもらわないと気が済まないタイプに成り下がってしまったので、もう近年は、切る時は確実に数cmの深さで切ります。一度、腱まで切断してしまって、緊急オペしていただいた事があります。その節は、本当にご迷惑をおかけしました。全治3ヶ月もかかりましたが今こうやってタイピングできるまでに治してくださった事は、本当に感謝しています。 普段のリストカットは、同じ箇所を何度も切るタイプです(だから深くなる)毎回縫合していただくので、よくあるデコボコな傷痕というよりはケロイド、やけどの傷が伸びた(太ったから傷も伸びた)みたいな見た目ですが、誰が見てもわかる傷が左前腕にびっしりあります。

最初のリストカットは、すっごく鮮明に覚えていて、100均のカッターで大学の休憩時間に大学内のトイレの個室でやりました。仲の良かった友達がやっていてね、つられたんです、あるあるです。18歳の時でした。 あの時は、紙で切った程度の傷だったんですけど(結局止血するまでもなく血も止まり、絆創膏さえせずに教室に帰った)やるまでのドキドキ感、なぜかわからないワクワク感、そしてやった後の達成感と高揚感、そして爽快感。トイレの暗い個室が明るくなった気がしました。その後の世界も、すごく輝いて見えた。なぜか私はその初回で、たった1度ですごくスッキリしたんです。リストカット・ハイ状態だったのだと思いますが、当時抱えていたモヤモヤとかそういうのが全部どうでもよくなって、スッキリして完全に満たされちゃいました。

リストカット常習の恐ろしいところは、その一度で終わらない事なんですけど(私が影響を受けた友達は数回で終わっているけど)初回にすごい爽快感を感じた私はとても満足して、なんと2回目の行為まで数年空きます。(その間に摂食障害(1回目)はさむけどw)2回目のリストカットはよく覚えてないんですけど、多分24歳くらいの時。この頃は、深さよりも自己タトゥーみたいな意味合いが自分の中で強くて、上腕部に当時好きだったアイドルのイニシャルを彫りました← こんな、誰が考えても後々後悔しかしないようなことを、平気でやっちゃう神経が「THEメンヘラ」です。ちなみに、言わずもがな、これは後悔しまくっています(笑)だって、今、もうさほどその人のこと好きじゃないし(爆笑) あれから10年以上経って(この頃は縫合もしていなかったので)怪我の手術痕?くらいの薄さの見た目にはなったけど、どう考えてもイニシャル形に手術創はできないし、やっぱこの傷痕から自傷を否定するのは無理ゲーですw私の自傷行為を知っている、比較的最近、大人になってから知り合った友人達は、最初から知っているので特に前腕については何も言いませんが、この上腕部分については「馬っ鹿じゃないのww」と言っていました。はい、正論。私も、馬鹿だと思ってます。せめてもの救いは、水着やノースリーブを着ない限り見えない場所だってことです。今は、ファンデーションテープ なる素敵なものがあるので、最終的にはこれでどうにかなるし。ちなみに、前腕は広範囲かつ凸凹しているので、貼らないより貼ったほうが目立たなくはなりますが、あまり意味はない程度にしか隠せないので、隠してません(ファンデーションテープ高価だし)

薬物やアルコール依存なんかもそうだと言われますが、常習性が増すと今度は量が増えます。最初は満足できていた量では、同程度の満足が得られなくなるのです。私のリストカットもそうです。一度縫ってもらうと、その費用対効果が私の場合2週間くらい平均で持続します。縫合から抜糸まで普通1週間~10日なので、その間はおとなしくしていられます。でも、抜糸が終わるとウズウズしはじめます。当たり前ですが、抜糸後って切りやすいですし(おい)

同じように瀉血もどんどんエスカレートして、結局最低Hb.は3.3でした。それ以下は、自分の値では見た事がありません。私はコントロールして抜いていたわけではないので、その頃はもう最低Hb.の値が見たくて、外来で毎回採血する医師との競争みたいになっていたし、医師に「死ぬよ」って言われた時は『やったぁ』としか思わなかったし、「見たことない数字」と言われれば勝ち誇ったような気分にもなったりしていました。結果、死ななかったし、ネットの世界にはもっと強者がたくさんいるんですけどねww


最近は、特にセンセーショナルな自殺の記事などをわざわざ探しに行って、自らにウェルテル効果を引き起こさせようとする、という自傷行為をしています。れっきとした自傷行為ではないけど、これはもはや自傷の一種だと思っています。あとは、鬱病の人の成功談(闘病記、じゃなくて既に社会復帰を果たして成功した話限定)とか、一攫千金できた人の体験談とか、医者や政治家などの成功者の日常ブログの閲覧。どれも、書いている人には罪はないし、どこまでが事実なのかはさておき、私にとってそれらはもともとない自己肯定感を掘り下げる行為でしかないのに、わかっているのに見に行って。そして必ず思うのです。

『結局、周囲にも環境にも恵まれて、自分自身の能力にも恵まれて、努力でなんとかなる程度の潜在レベルの人って、運も味方につけて羨ましいよな』

って。完全に勝手にネガティブに捉えて僻んでいることはわかっているのですが、どうしてもこの思考から抜け出せないのに、同じ行為を繰り返す。 でもね、だいたい「群れ」が嫌いなんですよ、私。そんなこと言いつつも、曲がりなりにも女子なので、学生時代もそれなりに群れましたし、群れが居心地良い時もあったんですよ。SNSでも、同じような症状で苦しんでいる人たちや似た境遇の人と群れていた時期があったのですが、結局、それが辛くなるんです。群れって共感しやすいけど、反感も買いやすい。もちろん、深くなればなるほど、相手を知れば知るほど、嫌な面も見えてくるし、それは当たり前なんだけど、下手に群れるとそれは指摘できない関係性になっちゃうし、そんな群れは、だいいち、まず、絶対に、

ほんとうに助けてほしい時に助けてくれない

です。なので「群れ」が嫌いという理由で孤立を深める悪循環にはまるのですが(本当の意味での良い出会いっていうのが多分じんせいで数回しかないんだよなぁ…ボソッ)

だから、最近はSNSでも昔みたいに共感する人を探すような行為はやめたし、リアルな事を書くのも最小限にしています。おかげで、唯一の承認欲求を満たせる場だった場所で、承認欲求が満たされなくなって寂しいです(笑)でも、こんなこと書くと界隈を敵に回しそうだけど、毎日のように「死にたい」って呟く人ほど死なないし、そこに群れていれるうちは大丈夫だと思うんです。私だってそんな過去を通り過ぎてきて、まだ生きてますから。メンヘラって、マジでしぶといんです。

先日「死ぬことが”最悪の場合”ではない人がいる」というある精神科医の言葉を見て、『健全な考えだと、死=最悪、なんだな』と不思議な感覚に陥ったのですが、死にたいって言葉を言えるうちは(呟けるうちは(もっと言うならそこに思考を持っていけるうちは))まだ大丈夫。その裏には、きっと「死にたいと思わないように生きたい」という思いが微かにでもあるから。私はそう思ってます。

もとい。

結局、姿かたちを替えつつも、自傷行為と切り離して生きていく事は私にはとても難しい事なのかな?って思うのです。趣味もそれなりにはあるつもりですが、哀しみのやり場がなくて始めた自傷行為、誰にも迷惑かけないし、と思っていたのに縫合するようになって迷惑をかけ(ちゃんと正式な手順を踏んで、病院受診しますよ。むやみやたらに救急車なんか呼ばないし、お金も払います。でも、自らやる行為なので、やはり医療者に迷惑はかけます)瀉血が酷かった時は輸血のお世話にもなりました(当時対応した研修医がチキってHb.5に輸血したんですけど。笑)世の中に迷惑たくさんかけてます。なので、誰にも迷惑かけないんだから自傷で解決させてる私偉くね?って思っていた若かりし日の自分には言ってやりたい。

大迷惑です。何をやっても誰かに迷惑しかかけません。

でも、もう依存になってしまったので、確固たる意志と適切な治療と適切な環境にいかないと治せない。だけど、そのすべてを、私は今、持ち合わせてはいない。なのできっと、今は落ち着いていても、また、自らが行った行為で医療を圧迫する迷惑をかけることもするだろうし、もしかしたら自分にとってはハッピーエンドを迎えられたとしても、その時は必ず最低限の誰かに迷惑はかける。私の人生ってそんなものだと思っています。

けどね。

生きてるだけでそれだけでいい

って言うんですよ、うちの親。私はその言葉に全く賛同していなくて、そんなわけあるかい!と心底思っていますが、どうやら「死=最悪」なんだそうで、生きてるだけでいいんだそうです。生きてれば維持費もかかるのに?迷惑もかけるのに?それでも生きていればいいって?? こうやって文字にしてみても、やっぱり何回読み返しても、サッパリ意味が解りません。理解が出来ません。


という感じで、今回はメンヘラちゃんの自傷行為についてのお話でした。

*お察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、書いているうちに辛くなってきたので最後が尻切れトンボになってて、内容がちょっとごちゃごちゃしてます、すいません。


♡記事の内容を信じるか信じないかはあなた次第!てへぺろ

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