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大舘のアメ事業④ 難航したアメの企画。出口が見えぬまま…

MNHの小澤です。

秋田・大館市で、消えゆくアメ事業を引き継ぐと決めたぼくらは、工場にする新しい物件も決めた。そして、2015年の夏には機材をそこへ運び入れた。

そこで働いてもらうアメ職人も育成しながら、一方でアメの商品企画も練っていた。

…で、この企画。
これには、ほんっっとうに頭を悩ませた。

前提として、今さら普通のアメの企画をしたところで、市場では勝負はできない。
スーパーに行けば数限りないアメの商品が出回っており、もう飽和状態だ。

一方で、佐久間さんから譲り受けたアメの機械は「半自動」。
手動ではないものの、人の手を介添えしてあげないと動かすことはできない機械だった。

この機械を使って、いかに差別化した商品をつくれるか———

世を見渡すと、組み飴(*1)で有名な、パパブブレが出始めた頃だった。
「組み飴もいいよな」と思ったが、作業に人数を要する。もとより技術の習得も。
タナカ飴さん(*2)は組み飴を作っていなかったので、それは早々に諦めた。

「りんご飴」にも目を付けた。
ただ、中身のりんごが"生もの"なので、流通が難しい。


フリーズドライの技術も考えた。
当時いちごやりんご、バナナなどをフリーズドライにして商品化する動きも活発だったからだ。「これにアメをかけたらおもしろいんじゃないか」と。

ただ、それも「フレッシュ」な果物を使うからこその売りなのであって、大館という地域でつくって流通させていく前提の企画としては、そぐわなかった。

アメッコ市がたつくらいアメが有名な地において、わざわざ工場を構えてつくるという意義を、いかにしてブランドにこめるか。その点がものすごく難しかった。

新しい物件を確保し、機械を譲り受けた、人を養成し始めたのはいいが、肝心の商品企画で「これ!」というものが浮かばないまま、月日が過ぎていったのである。

(つづく)

(*1)切っても切っても同じ絵柄が出てくる金太郎飴のようなもの。

(*2)八王子にあるアメメーカー・「キャンディータナカ」。この事業のために若者に修行に行ってもらっていた。


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