大舘のアメ事業① MNH史上最大のプロジェクト始動!
MNHの小澤です。
「これはMNHが始まって以来、最大のプロジェクトになりますよ。本当に、やるんですよね?」
ぼくは会長に何度か確認した。
2015年の桜が咲く前だった。
————舞台は、秋田県大館市。
と、ここで軽くおさらいをしよう。
ぼくらは「東北に若者の雇用をつくる株式会社」をつくり、庄内町で事業を始めていた。
同時にその秋田支社でも事業を模索していた。
つまり、何か秋田で商品化できるものはないか、と地域資源をあさっていたのである。
そんなときに大館市のアメの産業も調べていた。
大館市といえば「アメッコ市」が有名だ。
その名のとおり「アメ(飴)」のお祭りで、400年前から旧正月に行われている。当日は「おおまちハチ公通り」にアメ売り屋台が軒を並べ、県内外から多くの観光客が訪れる。
ただし、数多くいた地元のアメの専業メーカーも、時代の流れにより次々撤退。
今は地元のお菓子屋さんがお祭りの時期だけつくったり、他県のアメ屋が参入したりしてそのお祭りを支えているとのこと。
そんな中、大館市に最後の1軒の老舗が残っているというニュースが流れたのだ。
「これはいいストーリーだ!」
そう思ったぼくらは、さっそく当時の秋田支社の担当者を介して、そのアメ屋にコンタクトをとったのだ。
それは今はなき、サクマ製菓さん。
そして、佐久間さんの家に行き、「事業を引き継ぎたい」という趣旨の話を持ちかけた。
最初の思惑としては、佐久間さんの自宅裏の「工場」を借りたいと思っていた。
アメ事業をやるには、「アメッコ市」が行われる大館の地でつくるというストーリーが、どうしても必要だと思っていたからだ。
だがしかし、その工場も夏に壊してしまう予定だという…!
そして、想いを伝えるうちに、そのアメ製造につかう機械一式を譲ってもらえることになったのだ。
ぼくらは考えた。
消えゆく産業を継承するというストーリーは確かに魅力的だ。
しかし、ゼロから物件を探し事業を始めるのにはとてつもない労力と費用を要するだろう。さらにここはまったく土地勘のない場所。知り合いもいない。
この時点でアメの製造方法を誰ひとりとして知らないし、やるとなればこれに専念する人材(*1)も必要だろう。
一方で、この頃のMNHは、工房や小売店を持つことが強烈なブームで、いろいろ試していた時期でもあった。ぼく自身もOEMの限界を心底感じていたので、ハードを持つ(工場を持つ)メリットに惹かれてはいた。
さらに秋田は、菅会長の肝いりの地だ(*2)。
会長は初っぱなから「ここでできたらおもしろいよな」と繰り返し、事業を進めたがっていた。
すごく魅力的だが、すごくリスキーなこの事業。果たして進めてよいものか……?
この時のギリギリ感は、冒頭の一文に譲る。
そして、2015年3月。
会長の最終承諾をへて、賽はなげられたのだった。
(つづく)
(*1)「東北に若者の雇用をつくる株式会社」という趣旨からも、この事業は"若者"が携わることを前提としていた。
(*2)仙台育ちの会長は、両親がともに秋田出身で、親戚も多くいた。