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阪神淡路大震災と灘校と菊正宗と

背中を突き上げるような激しい衝撃で目を覚ましたのは、30年前のことだ。

 一瞬、自分がどこにいて何が起きているのか分からない。本棚が壁にぶつかる音に、家が軋む響き。続く激しい揺れにようやく地震だと気づいたものの、あまりに現実離れしていて、まだ夢の中にいるような感覚だった。揺れがおさまっても部屋は傾いたままで、住んでいたアパートは半壊。周囲の木造住宅はほとんどが全壊という壊滅的な状況だった。

 地震の被害が大きかった西宮から神戸にかけてのエリアは、江戸時代中期以降、日本酒造りという地場産業によって発展してきた街だ。教育などを通した地域振興においても大きな役割を果たしており、当時高校生だった僕が通っていた灘高校は菊正宗や白鶴などの酒造家が経営母体となっているし、近隣の甲陽学院は白鹿の創業家が経営している。そのため、もともとは酒造りに携わる人の子どもが多く通う学校だったそうだ。

 この地域一帯には、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷からなる“灘五郷”と呼ばれる五つの酒造地帯が広がっている。六甲山から湧き出る「宮水」という地下水はミネラルが豊富で、それが日本酒づくりに最適なのだそうだ。

 また、阪神タイガースの応援歌としても有名な「六甲おろし」は、冬に六甲山から吹き下ろす冷たい風のことで、雑菌の繁殖を抑えて日本酒の品質を向上させてくれる。さらに、酒米の王様と呼ばれる大粒品種「山田錦」の産地も近い。

 こうした自然と地理的な恵みによって、灘五郷は国内でも有数の日本酒の産地になっており、国内生産量の5分の1は、この地域で生産されている。

 しかし、あの阪神・淡路大震災で、灘五郷の酒蔵も多くが倒壊し、壊滅的な被害を受けた。いくつかの酒蔵は廃業を余儀なくされたと聞いている。

 それから年月が流れ、地元の酒造家たちは根気強く復興を進めてきた。蔵そのものを建て直すだけでなく、見学用の資料館をつくったり飲食店を併設したりして、観光客が訪れやすい仕組みを整えている。いまでは全国の日本酒ファンが集まるだけでなく、日本食ブームの後押しもあって、海外からの観光客も増えているらしい。

 あの大震災で大きく崩れかけた産業を、ここまで蘇らせたのは、地元の人々の熱意と努力の賜物だろう。

 そして今、石破政権が「地方創生2・0」を掲げている。灘五郷の例を見てもわかるとおり、地場産業は単にモノを生産するだけでなく、その地域ならではの文化や歴史、人材を育んでいる。こうした特性をしっかりと支えることこそ、地域を明るい未来へ導くカギになるのではないだろうか。

 日本にはそれぞれの土地に根付いた強みがあり、それが組み合わされば、もっと活気づく可能性がある。

 震災から30年たった今、街並みは変わったが、人々の思いは続いている。地域特性を生かした産業が育まれ、そこに住む人たちの誇りや意欲が結びつけば、地方が元気になるだけでなく、日本全体にとっても大きな力になるだろう。震災を乗り越えた灘五郷の酒造家たちが教えてくれているような気がする。

※こちらの投稿はAERA2月3日号「経済のミカタ」にも掲載しています。

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先週は、フジテレビの会見を見ていて、灘高との奇妙な関係に気づいてしまい複雑な心境になった。

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お金や経済の話はとっつきにくく難しいですよね。ここでは、身近な話から広げて、お金や経済、社会の仕組みなどについて書いていこうと思います。 …

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