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AERA連載で蘇る 21年前の教授の顔

誰しも、人生には忘れられないセリフがある。
そういうセリフは、再生すると当時の場面ごと思い出すのではないだろうか。

そんな人生の一幕は、僕にもいくつか存在している。

8月からAERAでコラム「経済のミカタ」の週刊連載を始めたのだが、冒頭の一文は、21年前に大学の教授に言われたセリフだ。

以下、連載第1回の記事をそのまま紹介する。


「君の能力を、社会のために使ってほしかった」

21年たった今も、そのシーンは鮮明に思い出せる。教授は穏やかな口調だったが、がっかりした顔をしていた。
情報工学を研究していた僕が選んだ仕事は、外資系証券の金利トレーダー。得意な数学を生かしたかったし、経済のメカニズムも知りたかった。学費を払いながら3畳一間で生活していた苦学生には、年収の高さも魅力的に映った。それ以来、マネー資本主義にどっぷり浸かってきたが、社会的金融教育家として5年前から執筆や講演を始めたのは、恩師の言葉が引っかかっていたからかもしれない。

新NISAが始まり、お金の勉強をする人が増えている。上半期のビジネス書ベストセラー上位10冊には、僕の書いた『きみのお金は誰のため』をはじめ、お金の本が7冊も入っている(トーハン調べ)。
みんながお金を増やす方法を学べば、みんながお金持ちになれそうだ。しかし、それは実現不可能だ。金融市場で学んだのはまさにそれだ。
「社会全体のお金は増えない」

もちろん、自分のお金は増やせる。給料をもらったり、利息をもらったり、株の配当をもらったり。だけど、これらのお金はすべて誰かの財布から移動してきただけだ。給料は勤務先から、利息は銀行から、株の配当は企業から支払われる。全体のお金は一円たりとも増えていない。

先日のニュースにはカラクリがある。

「2024年3月末における家計の金融資産は過去最高の2199兆円を記録した」

よく耳にする金融資産という言葉。ここには大きな秘密が隠されている。金融資産のウラには全く同額の“金融負債”というものが存在しているのだ。金融とは、二人の間で行われるお金の融通のこと。早い話が貸し借りだ。貸す側には資産でも、借りる側には負債になる。

AERA2024年8月12日・19日合併号より

たとえば、預金は預金者にとっては資産だが、銀行にとっては負債。いつかそのお金を預金者に返さないといけない。株式も同じ。配当をもらう株主には資産でも、配当を支払う企業には負債になる。

現金でさえ、それを発行する日本銀行にとっては負債になる。少イメージしにくいので、ビール券を思い浮かべてみてほしい。多くの人にはビール券は資産だが、ビール会社からすれば負債だ(ビールを渡さないといけない)。昔は現金を日本銀行に持っていくと、金(ゴールド)を渡さないといけなかった。今ではその義務は無いが、日本銀行にとって現金は負債として計上される。

僕らが蓄えたつもりになっている金融資産とは、誰かに対しての“貸し”を示しているものに過ぎない。その反対側で“借り”にあたる金融負債が増えている。

先ほどのニュースでは、“家計の金融資産”とあった。
家計というのは個人のこと。個人の金融資産は他の誰かの金融負債である。“他の誰か”というのは、銀行や事業会社、政府、海外の人たちなどだ。すべての人や組織の保有する金融資産の合計と金融負債の合計はほぼ一致する。(金融資産のうち日本銀行が保有する金には金融負債が存在しないので、金融資産の方が7兆円多い)

金融の貸し借りを増やすだけでは、生活は豊かにならない。
大切なのは、お金を融通することで生活を豊かにするものを生み出すことだ。工場などの生産設備やインフラ、文化や科学技術。制度や仕組みなども含まれるだろう。
お金だけ注目していても、経済の実態は見えてこない。この連載では、生活の“味方”になれるように経済の新たな“見方”を提供しようと思っている。

(AERA2024年8月12日・19日合併号より)

この話は、書籍『きみのお金は誰のため』の第3章で詳しく書いています。

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お金や経済の話はとっつきにくく難しいですよね。ここでは、身近な話から広げて、お金や経済、社会の仕組みなどについて書いていこうと思います。 …

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