少子化対策を語る経済学者の口を塞ぎたい
お願いです。
経済学者の先生、その口を閉じていただけませんか。
思わず心の声が出たのは、少子化対策の話。
最近、自分の周りで幼稚園の閉園や募集停止をよく聞くようになった。調べてみたところ、この7年ほどのあいだに、全国で1400園もの幼稚園が閉園したそうだ。
厚生労働省が発表した数字によると、今年上半期(1−6月期)の日本で生まれた赤ちゃん(外国人を除く)は約33万人だったそうだ。単純計算で1年間で66万人。例年、7、8月の出生数が例年多めであることを考えても、70万人を割り込むのは確実だと言われている。
こうした人口推計は一般的に予測が立てやすい分野であり、2017年に出された将来推計では「出生率が低いケース」でも70万人を割り込むのは2031年と言われていた。けれど現実は、それよりもはるかに速いペースで少子化が進んでいる。
少子化対策といえば、以前、ひろゆき氏(匿名掲示板「2ちゃんねる」創設者)の「子どもを1人産んだら1千万円支払えばいい」という発言が話題になった。「子育てにお金なんて」という上の世代の人もいると思うが、昔とは違って周りに頼ることができなくなっている現代では、親が育児を一手に引き受ける状況が増えている。
保育園の利用が増えても、実際に、親(特に母親)が育児に使う時間は増えている。貨幣経済の発展(GDPの数字を増やすこと)ばかりを考えて、お金の介在しない支え合いが減ってしまった以上、お金という形で社会全体での支え合いを考える必要があるのではないだろうか。
すでに各地で人手不足の深刻な影響が現れ始めている。バスの運転手が足りずに便数を減らさざるを得ない路線もあれば、大阪の公営団地の建て替え計画では、更地にしたものの建設に着工できないそうだ。予算が無いのではない。人手不足のせいで、請け負う建設会社がないのだ。
急速な少子化が今後進み、生産年齢人口の割合が一段と減ると、同じような問題はあちこちで起きるだろう。社会を回すには、とにかく「人」が必要だ。資本主義であれ、社会主義であれ、貨幣経済だろうとそうでなかろうと、結局は人が動いてはじめて仕組みが機能する。それは子どもでもわかるシンプルな真実だ。
ところがである。
少子化対策の話で、「財源が」と言い出す経済学者がいるのだ。僕は「いくらでも国の借金を増やしていい」と思っているわけではない。しかしながら、社会を支える人がいなければ、そもそもお金を使うことすらできない。「将来、社会保障費が増えるから」と心配してお金を確保していたところで、医療従事者がいなければそのお金は使えないのだ。そして、人手不足が進めば、これまで国内で作っていた製品を海外に頼るようになり、円安も進んでいく。通貨インフレになって取り返しのつかないことになる。人手不足の問題は何よりも優先すべき経済政策だろう。
「お金を配るだけの少子化対策に効果があるのか」という疑問を持つ人もいる。もちろん、それはしっかり議論すべきだと思う。お金を使うにしても、配るのではなく、他の方法だってあるはずだ。
ただ、議論の入り口に立つ前から「財源がないからダメ」と手段を限定してしまうのは、社会全体の未来を狭める愚策にしか思えない。
国債発行が嫌なら、他の財源を減らすことを考えたらいい。
少子化対策を「どれだけ本気でやるか」で日本の将来は大きく変わると思っている。人手不足がさらに深刻化すると、私たちが日々当たり前に享受しているサービスやインフラは立ち行かなくなるかもしれない。
将来の子どもたちに責められないためにも、今の大人が、そして社会が、少子化の問題と正面から向き合い、あらゆる手段を検討していく。そのためには、まず「財源がない」と言い出して議論を止めてしまうのではなく、“どんな手があるのか”を模索する姿勢が必要でなのではないだろうか。
人がいることで初めてお金も生きるし、社会保障も回る。
経済学者の先生が、少子化問題で有識者の顔をするならば、人とお金とどちらが社会を支えているのかを考えてほしい。それとも、それは「経済学」の範囲の外側の話なのだろうか?
※この記事は、AERAに連載している「経済のミカタ」を加筆修正しています。
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