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「ドラえもんの値段」0円か1兆円か?
「スーパードラえもんの価格はいくらだと思いますか?」
あるトークイベントで、会場からこんな質問が飛んできた。質問者は10歳の小学4年生、ではない。46歳のおじさん、他ならぬ筆者自身である。
ジャーナリストの田原総一朗さんが開催する「田原カフェ」というイベントで、ゲストに来られた安野貴博さんへ質問したのだ。安野さんは、33歳という若さで昨年の東京都知事選挙に立候補されていて、AIの技術を駆使して誰も取り残されない社会を目指されていた。
僕は長い間、日本の金融市場で働いてきたが、大学時代の研究分野は、安野さんと同じ自然言語処理だった。今でいうAIの研究に近い。そこで冒頭のような質問をぶつけてみたのだ。
もしも、ロボットが進化して、どんな問題も解決してくれるロボット、つまりスーパードラえもんが完成したとする。食事の用意や住居の建設、病気の治療まで何でもできるロボットだ。エネルギーも材料も自分で調達する。このロボットの価格は果たしていくらになるのだろうか?
普通に考えれば、とんでもない金額だ。1億円、いや1兆円かもしれない。しかし、1台あれば、新たにもう1台を生産することもできる。では、新しく作った1台をいくらで売るのかと考えてみる。
スーパードラえもんがどんな願いも叶えてくれるなら、お金は必要なくなる。そうなると、無料で譲ることも可能ではないだろうか。
こういう反論もあるかもしれない。ロボットには、クリエーティブな仕事ができないから、小説や絵画などの購入には引き続きお金が必要になるのではないか。しかし、クリエーターが作品の対価にお金を求めるのは、お金がないと生活できないからだ。ロボットがなんでも叶えてくれる世界においては、彼らがお金を要求する理由はなくなる。
そう考えると、ロボットの活躍が増えるにしたがって、僕らはお金を必要としなくなっていくのかもしれない。
一方で、これまでの資本主義の歴史を見ていると、豊かになっても分け合うことのできないのが人間の性だ。一部の人がその技術を独占して、多くの人はスーパードラえもんの恩恵を受けられない可能性もある。
果たしてドラえもんの価格は0円なのか1兆円なのか。
安野さんは「面白いけど難しい質問ですね」としばらく考え、別の視点から答えてくれた。「ソフトウェアの価格は無料になっても、ハードウェアを作る(鉄鉱石などの)資源については価格が存在するのではないか」と。
言われてみればそのとおりだ。ドラえもんが材料まで調達するとしても、この場になければどうしようもない。かなり高い確率で、僕らが生きているうちにドラえもんは誕生しないが、その方向に進んでいくのは間違いなさそうだ。
AIによる自動化が進むほど、人間の能力や技術は必要なくなり資源国の優位性は高くなっていく。このままでは、エネルギーや資源の自給率が低い日本はますます厳しくなるだろう。そうなる前に何か手を打たないといけない。
安野さんは東京都のDX推進のアドバイザーに就任されたそうだ。東京の未来、日本の未来のために、その能力を発揮してもらえることを願っている。
※こちらの記事はAERA1月13日号「経済のミカタ」にも掲載しています。
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