真夜中の雑談 #6 外食恐怖症・会食恐怖症
こんばんは☆彡
Mナオキです(﹡’ω’﹡)
芸大のレポート提出も無事に完了し、一息ついたところでこの話題について少しだけ触れておきたいと思いました。
というのも、数日前にXで「外食恐怖症」がトレンドに上がっていまして、私も悩みがあったので正直な気持ちをポストしたところ、思った以上の反響があったのです。
最後に確認した時点でインプレッションは26万以上。
イイネボタンも300近くと、想像以上に苦しんでいる方が居たことに気が付きました。(コメントも色々いただきました)
現在私は心理カウンセラーの資格も取って、本業と並行しながらカウンセリング業もスタートさせていますので、外食恐怖症の当事者として、カウンセラーとして、両面からお話をしていければと思います。
■きっかけは高校時代
小学生時代から野球部でありながらも決して食の太い方ではなかった私。
高校2年生の時にパニック障害を発症し(病名が確定したのは数年後になります)、それ以来、食べることがこれまで以上に苦手となりました。
そんな時に遠征合宿がありまして、体調が悪かったことも相まって全く食べることのできなかった私に、悪気は無かったのかもしれませんが当時の監督が私の側に付いてずーっとプレッシャーをかけてきたのです(汗)
運動部は「食べることも練習」的な要素が強いですからね。
だから監督としては意地でも食べさせたかったという想いがあったのでしょう。
ただ、私にとってはそれがいけなかった。
その後、人前で食べることが更に苦手となり、友人と「ラーメン食いにいこーぜ!」みたいな話になっても、なんやかんやと理由を付けて断ることが増えていきました。
■高校を卒業して
漫画家を目指すために札幌の専門学校へ進学をしました。
この時点でもまだパニック障害とは確定診断されていなかったのですが、今考えるとパニック障害としかいえない症状の中で新生活をスタートさせていきます。
外食恐怖症や会食恐怖症なんて言葉はパニック障害以上に知らなかったとはいえ、人前で食べることの恐怖感は日々増していくばかりでした。
専門学校には学食もあり、入学当初は親睦を深めるため大人数で食べに行く…なんてことも多かったのですが、とにかく様々な理由を付けて食べやすく消化に良いものを選択したり、学校に併設してあったカフェで購入したパンを1つ買って何とか食べたフリをする。
そんな日々が続きました。
きっとパニック障害の発作と外食恐怖症・会食恐怖症の症状がグチャグチャに混ざって現れていたのでしょう。
その後、パニック障害の症状も限界となり、2年生となる前に自主退学をして地元へ戻ることとなりました。
■絵を仕事にしてから
色々な支援もあり、パニック障害の症状に脅かされる中でも比較的早い段階で絵のお仕事をいただけるようになりました。
野球も変わらず好きでしたから、知り合いのツテをたどって地元の社会人野球チームに入団することもできました。
ただし、病気に対しての根本的な部分はほとんど変わっていません。
パニック障害の発作は頻繁に襲ってきますし、忘年会などどうしても行かなくてはならないお酒の席などでは、何日も前から胃に優しいものを食べて体調を整えて頓服薬と吐き気止めを飲んで乗り越える…といった感じ。
外食や皆で食べることが好きな方にとっては信じられないような症状ですよね(汗)
でも、私にとっては「ただただ吐き気と闘う地獄の時間」だったのです。
■その後の変化と対策
外食や会食が苦手であっても自宅で食べることのできないような美味しいお料理を外で食べたい気持ちは勿論ありました。
その後、何年もかけて様々なことを試した結果、ほぼ恐怖症を感じさせないくらいに外食へ行くことのできる期間が発生しました。
それは地元に戻って来てから数年後の話となるのですが、初めての漫画連載を終了させた後にもう一度漫画の修行をしなければならないという気持ちが強くなり、漫画関係の恩師たちがいらっしゃる札幌へ再びの移住を決めてからのこととなります。
今度は学生ではなく大人として札幌へ移住した訳ですから、当然お付き合いとして外食へ行く機会が一気に増えてきます。
漫画家の師匠も含め、世の中では著名人と言われるような方達と外食をする機会も増えていきました。
そこで私が取った対策。
それは慣らすことでした。
かなり荒技なのでカウンセラーの立場としてはあまりオススメできません(苦笑)
ただ、仕事におけるチャンスを逃すようなことはどうしてもしたくなかったので、普段から夕食を(10年少々前は安かった)牛丼店で食べるようにしたり、漫画のネームを深夜まで営業しているファミリーレストランでおこなったり(ドリンクバーと僅かなおつまみ程度を注文しながら)、とにかく外で食事をすること、飲食店で時間を過ごすことを日課としていったのです。
※この2~3年の物価高と状況が違い、当時は安く食べられるお店が多かったことと、一人暮らしなのでスーパーで食材を買うよりも場合によっては外食の方が安く済んだという条件が合わさったからこそできたものだと思っています。
結果として、10回中8回くらいは何の恐怖を感じることもなく外食ができるようにまでなりました。
■その後再び…
漫画の修行を終え(再びパニック障害が悪化したということもあり)、10年近く前に再び地元へ戻ってくることとなりました。
自宅は市街地からかなり離れた場所にあるため、必然的に外食の頻度は減ってしまいました。
それでも最初の数年はそこまで悩むことも無かったのですが、コロナ禍で外食をする機会自体が更に減ってしまい、久し振りに大好きなカレー店へ行ってみても、注文をしてから待っている間にどんどん気分が悪くなり、外食恐怖症が若干ぶり返してしまっていることに気付かされました。
結局「根っこの部分」では恐怖症として残ってしまっているので、間隔が空けば何度でも再燃してしまうのでしょうね…
■カウンセラーとして伝えたいこと
Xで私個人には無かったものの、
「そんなの気の持ちようだ」
「何でも病気にするな」
といったコメントが散見されていました。
例えば末期癌患者の強烈な痛みは末期癌になってみないと分からないように、どんなに説明をしても外食恐怖症・会食恐怖症の辛さは理解されないものだと思います。
理解しようとしてくれる方はいますけどね。
ただ、この文章をここまで読んでくださったという方は、この症状に少なからず関心を持たれていると思いますから、もしお近くに悩まれている方がいらっしゃれば、どうかプレッシャーをかけずに温かく見守ってあげて欲しいなと思います。
深入りし過ぎても患者は余計に気を遣ってしまい逆効果になる恐れがありますし、さりげない程度のフォローが一番ありがたかったりします。
また、現在症状で苦しまれている方は、決して無理をせず、そしてできる範囲で「自分なりの克服方法」を見つけてみてください。
「完治」は難しくとも、上で書いた私のように10回中8回くらいは恐怖を感じず外食をできるレベルになれる可能性はあると考えています。
最後に宣伝となってしまい大変に恐縮ですが、私はオフィシャルサイトにて「メールカウンセリング」をスタートさせております。
お困りの方はご遠慮なく相談していただけますと幸いです。
当分の間は出来る限りリーズナブルな価格でご対応せていただく予定です。
今回は真面目な話題の雑談となりました。
それではまた、次回の更新で☆彡