10. 人間、一体何やってんの? - 探究という名の生命活動。
生きづらさの原因探しと解決法探し(※前回記事参照)とをひとしきりやり切って、自分への壮大な誤解が解けたような感覚がじっくり、じんわりと馴染んで来た頃、意図せず、幼少からの様々な「問い」へのAnswerが、凄まじい勢いで転がり込んで来た。
"時が、満ちた"。 - 振り返ると、その言葉がぴったりのような気さえする。
今回は、幼少からの「生きづらさ」と「死」という、それまでの私の2大探究テーマについての、一つの終焉の物語。
■死を見て、生を想う。
2019年12月、がん闘病の末に父が亡くなった。当時のブログ記事に、こんなふうに記してある。
この一連の体験は、死について少しばかり考え過ぎて来た私へ自分なりの理解もたらすに、十分かつ必要不可欠な機会だった。
生きている、という、体。死と区切られども、どこかまだ生の香りの残る(しかし何かが確かに霧散した)、体。そして、生気の抜けた、体。
生と死のグラデーションをまざまざと見て触れて、感じたことは、もはや言語外の圧倒的な理解体験だったように思う。死化粧時や、葬儀前。父の亡き骸に触れた手の感覚は、今もよく覚えている。
いくら体の仕組みを知ろうとも、また様々な思想に触れたとて、死そのものを本来的に理解するには当然、自分が死んでみる他ない。そして、私はまだ、死んだことが無い。
当時、その私として死をありありと間近に観察し、至極独りよがりでしかない体験知を引き受けたことによって、もたらされたもの。それは、私が本当に恐れていたものは、"死そのもの"ではなかったという事実だった。
知っていた。ちゃんとどこかで、知っていた。生きているということそのものに、抗う自分を。そしてそれを、どうこうしようとしなくて、本当に良かったのだ。
推定4歳から始まった長い長い問いの探究に、ようやく1つの節目をつけることができた瞬間だった。
そしてまた、1つの探究テーマの終焉は、異なる層の問いへと、自身を誘う。
生きづらさや恐怖感と戦うための問いではなく、合理的な目的も何も無い、何が分かって何が分からないかをただ知って、自分なりにこの生命現象を面白がっていたいという、好奇心いっぱいの、問いへ。
■人間、一体何やってんの? - 意味探しの終焉
同じ頃のこと。当時、私はイタリアに住む菅美智恵さん(執筆活動をしたり、オリジナルの意識のワークを提供しておられる。)のオンラインサロンに入っていて、毎週木曜夜に開催されるオンライン会をとても楽しみに過ごしていた。彼女との出会いは、そのさらに1年前、主催する体癖論講座の受講生さんから、「ブログがすごく面白いから、ぜひ読んでみて!」とすすめて貰ったことがきっかけだった。
彼女(※普段、活動名である「壇珠さん」と呼んでいる)の書く文章を様々読むにつれ、「ああ、この人は、間違いなく、今の自分の知りたくて知り得ていない“何か”をシンプルに熟知し、そしてそれを生きている人だ。」と確信した。そんな人を見たことがなかったし、存在するとも思っていなかった私は、わけもなく武者震いした。「この人に、会いたい!」
人は、問いや望みがはっきりと掴めない時でも、自身の欲するそれらを内包している他者を発見すると、まだ見ぬ可能性たる「予感」をキャッチできるものなのだと思う。憧れや畏怖など、様々な感覚を伴って。
当時、木曜のオンライン会は参加メンバーからの質問に壇珠さんが一つ一つ回答くださるというスタイルが主だった。私はある時(父の死期も随分近づいていた頃だったように思う)、一連の人間探究の果てに浮かんだ、一見すると途方も無いような問いを、おずおずと彼女に投げかけた。
生きて死んでいく私達、誰も頼んでいないのに生まれ、傷ついたり、生きることは結構苦しかったりする、我ら人間達。
彼女はいつも誰に対してもそうするように、一切の迷いなく、まっすぐな眼差しを画面越しにこちらへ向けながら、そして優しく、言葉を置いた。
…。
…。
、、ああ、、。
深い深い深い納得体験が、無音の衝撃とともに、起こった。
そうだった、そうか、ずっとずっとずっと、私はこの命の、生命現象の、どこかにあるはずの本当の意味のようなものを探していたのか・・・。そうか。意味が知りたかったんだ。そうだったのか。いや、そうだな。そうかもしれない。そして、そして、意味なんて、元々何も、無かった。意味は、人間が勝手に見出すものだった。ああ、そうだった。
ああ。
すっかり無意識的に、延々と続けていた、30数年にも及ぶ探しものだった。苦しみや理不尽さへの抗いに裏打ちされた、不機嫌な意味探し。
それは決して、何らかの意味を見出すことでは終わらないものだった。私はどこまでも欲深く、根本の根本まで納得したがる人間だ。意味探しの探究は、たくさんの意味,意味,意味…意味に塗れてみたからこそ、意味そのものの無意味化によってぴったりと満たされ、散った。
■そして、「知りたい」と出会い直した。
翌2020年。体と心の探究にも、原因探しと解決法探しにも一区切りつけ、意味探しも終えた私は、少しぼんやりと日常を過ごしていた。物心ついてからそれまで、常に何か(それはつまり自身の問いなのだが)に駆り立てられるようにしか過ごしたことが無かった自分。その自分は、追うべきものが既に手中にあるということの満足に徹底して不慣れで、その幸福感は私にとって、なんとも言い難い奇妙さでもあった。
「はて。じゃあこれから、どうしていこうかな?」そんな問いを空中に投げるような、ぼんやりと形容しがたい、空白感。
その少しの大切な空白感から、また新たな探究フィールドへと駆け出す決定的なきっかけになったのはやはり、壇珠さん(※その頃には彼女の仕事の一部をサポートさせて頂くようになっていた)の、一言だった。
そう、この連載の初回、冒頭の言葉が、それだ。
ー 人間存在を(自分なりに)理解したい。
私にとっては、このとてつもなくバカでかすぎて、無謀とも無意味とも取れる、完遂しきることの決して無いテーマを取り出せたことが、それまでのどんな答えや真実めいた何かとの出会いよりも、嬉しかった。自分はこれまで、そしてここで今、一体何をしているのか。ただただ、持って生まれたこの体を駆使し、経験して、頭を使い、理解を紡ぎたい。
この無意識化されたテーマを取り出すことは、先の意味・無意味への明快な理解とともにしか成し得なかったし、その場所に至るには、数々の問いとアンサーの折り重なりとが全て必要だった。
探究とは、自分なりに問いを立て、自分なりにああでもないこうでもないと考え、そして自分なりに解を見出すプロセスを指す。その意味において、生きるとは、生命現象とは、探究的な営みそのものだと言える。
そして、ずっと側にあった、原初的な願い「ただ、知りたい!(≒ここはどこ?私は誰?)」と出会い直した私は、再会への胸の高鳴りもすっかり馴染み、またこうして日々をただただ生きて、暮らしている。
何かのためでもなく、どこかにある意味によるものでもなく。そして全く同時に、誰かや何かのために、意味や解釈をたっぷりと自由に紡ぎながら、生きる、という、連綿と続いていたその旅路を、生きている。
■これからも、自分なりに人間存在を探究したい。
気づけば、あの計り知れないほどの生きづらさの感覚は、すっかり無くなっていた(!)。それそのものを無くそう消そうと追いかけていた時には、決して手に入らなかったのに(!)。
ほんの少し掛け違っていた問いと解との掛け合いが小気味よく踊り出した、そんな感覚だった。人生や日常は相変わらずまぁまぁ大変で、喜びも困りごともあれこれある。そして同時に、すっかり手を放しあきらめることと、さてどうしてゆこうか?と創造的であることとが無理なく共存することを知った。
この2020年から2022年頃の時期は、人間に関する理解という探究が日常の実践の中で花開き、とても面白い時期だったように思う。その気づきの多くを、育てて来た私塾の場(旧・ライフデザイン講座、現・探究の大学)に還元する日々で、その最たるものは、自身の認知特性と「思考整理」に関する探究だったのだが、あまりに長文になりそうなので、この詳細は次回に譲りたい。
その他、性や発達、認知に関すること、意識や存在論のこと、ファシリテーションや教育、対人支援のこと、ビジネス、表現、アート・・・。個と人間全体への理解の深化という無目的な遊びは、この肉体を持った今世を終えるまで止むことは無さそうである。長い長い夏休みの自由研究テーマの1つとして、楽しく、気長に取り組んで行こうと思う。
(つづく)
--
※本文中少しだけ登場する、菅美智恵さん(壇珠さん)という、聡明でチャーミングで私の半生に多大なる影響を与えてくださった女性については、その魅力という1テーマでコラムを何本も書けてしまうほど!(人類や意識について、2人で一体何時間おしゃべりしたか分かりません^ ^)
noteで素晴らしい文章を沢山綴っておられますので、自伝・裏自伝・毎日投稿など、ぜひ読んでみてくださいね。体験型ワーク「秘行」についても、ぜひ。
--
▼コラム『探究録の整理棚』、目次ページはこちら
このコラムは、私のカオスな脳内を整理してみる内的プロジェクトである。人によってはさらりと通ることのできるであろうことを、おぼつかない足取りであちこちフラフラしただけの不器用な旅路を整理し公開している。よって、何かを啓蒙するものでもないし、高尚な知識や便利なお役立ちノウハウを提供する文章でもない。けれどもし、縁あって読んでくださった方ご自身の、ごくごく内的な探究プロセスと共鳴するところがあれば、とても嬉しい^ ^