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なぜだかいまを生きている


もうすぐ三十歳になる。この冬を超えて次の春がめぐって来るころには、人間デビュー三十周年だ。

書いていて自分でびっくりしてしまった。三十歳って。まさかわたしがそんな年齢になる日がくるなんてまったく想像していなかった。予測不可能なことが起きるのが人生か。

ありがたいことにわたしは健康体そのもので生きてきて、両親は健在で、祖父母は歳を重ねても楽しんで生きていた人たちだ。そういう環境で育っているのに、なぜだかわたしは、自分は二十七歳くらいまでしか生きないだろう、と思い込んで生きてきた。そう確信に近いものを持っていた。

理由はすごく単純で大変お恥ずかしいのだけれど、高校生のころにそんな夢をみたのだ。

あの夢のことは、はっきりと覚えている。

自分の部屋の机の上に、空色の表紙の文庫本が置いてあった。その本を手に取って開くと、自分のことが書かれていた。それは、自分の生きた日々を自分が書いた本だった。その本に書かれている文章は、自分の頭に残っている記憶、自分の言葉にしていなかった気持ちそのもので、とにかく気持ちが悪かった。すぐに本を閉じて裏側のあらすじを読むと、そこにはわたしの人生の概要と「二十七歳まで生きた物語」と書かれていた。わたしの人生は、二十七歳で終わるのか。夢のなかのわたしは、その事実におどろくことはなくて、なぜだかしっくりときてしまった。

その本を手に取った夢のことを目が覚めても鮮明に覚えていて、十数年経ったいまでもはっきりと覚えている。ひと晩の夢を信じて生きているなんて理解に苦しむ変人だと自分でもわかっているものの、自分の人生は二十七歳くらいまでなのだろうと、あの夢をみた日からそう思って生きてきたのだった。

それがどうしたものか、次の春で三十歳になるらしい。あの夢はなんだったのだろうか。

たしかに一度、二十七歳のときにメンタルダウンしてしまって、人生の崩れる音を聞いたような気がする。あれがそうだったのだろうか。けれどそこで人生がシャットダウンされることはなくて、気付けば崩れたところを補修して、前より丈夫になって生きている。二十七歳で人生は終わらなくて、二十八歳の春が来て、二十九歳の春も来て、この冬を超えると三十歳の春がやって来る。

なんだか不思議に感じるけれど、毎日毎日ただ生きている。二十七歳までだ! と意気込んで突っ走って生きていた頃より楽しくほがらかに、鼻歌を歌って踊りながら生きている。

なにをしたわけでもなく、ただ休んで、自分をケアして、走れるスピードで走るようにしただけだ。あとは、食べて笑って寝ている。それだけの毎日をくりかえしていたら、なぜだかいまを生きている。二十七歳の先、自分の想像もしていなかった未来を、日常として生きている。

これから先もずっとそうやって生きていくんだろうなあ。なんて青空の下で考えている今日の気持ちを、二十七歳から先の日々のことを、こうやってここに書いている。


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tsuki | つき
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