母の日

最近母の日だった。

お母さんに日ごろの感謝を伝える日。

私の家族では、記念日や母の日には決まって花を贈る。

これは実家にいるときから、家族が離れて暮らしている今まで続いている。

私は大抵、母の日当日は実家に帰れず、ここ最近は兄弟がお母さんありがとうとラインでメッセージを送るのに便乗して、その後に可愛めのありがとうスタンプを送ることでごまかしていた。

だが、今回のこのコロナによる自粛のおかげで今年は実家に帰ることが出来、そこで母の日を迎えることになった。

家はまだ両親とも働いているので、帰省したといっても基本親は家にいない。

八時過ぎに帰ってきて、九時ごろご飯が当たり前。

これは小さいころから変わってない。

今は一人暮らしにも慣れ、食器洗いのめんどくささや帰った時に家に誰かいることの安心感の偉大さを知っているので、その辺に関しての配慮はできるが、昔はできなかった。

お弁当も出さず、お母さんが返ってくるまで寝て、

帰ってきたらお帰りの前に、おなかすいたなどというような失礼際まりないことを言っていた。

マジで申し訳ないと思っている。

でもそんな最低な環境の中でも、お弁当を毎朝作り、帰ってきてご飯をつくり、かたずけをし、残した仕事を終わらせ、深夜二時頃に寝て、また朝早く朝練のある私たちのためにお弁当を作る

ほんとにすごい

当たり前のことを書いているようだが、一回真剣に想像して考えてみてほしい。

一人暮らしでひいひい大変だとか言ってる場合ではない。

こんなに頑張ってくれていたお母さんなのに、小学生だったころ、

帰ってきたときに、お帰りって言えなくてごめんね

と私たちによく言っていた

その時はそれが当たり前だったので、とくにさみしいとか思っていなかったが、やはり友達の家に遊びに行ってお母さんがいると、ちょっとうらやましいような何でいるんだろうというような不思議な気持ちになった

今でもお母さんはよく言う

あなたたちが小さい時にもっと一緒に過ごしてたらよかったなあ

ごめんね、あの時が一番忙しくて、、、

、、、

私はそういわれてなんて返していいか正直わからない

今考えると、帰って親がまだ帰ってきてない子供のさみしさよりも、帰ってきた子供にお帰りをいってあげられない親の方がよっぽど悲しくてつらかったと思う。

もちろん、たまにお帰りといってもらった日は謎の安心感に包まれたが、そうじゃない日もちゃんと安心できていた

家に残る家族のにおい、テーブルの上の置手紙、忙しい中送ってくれたメール、、、、

ちゃんと大切にされていることは、ひしひし伝わっていた。

お帰りがなかった日よりも、お帰りがあった日の方をたくさん覚えているし、お帰りがないのはそんなに大したことではなかった

だからもし、この記事が目に留まった、お帰りを言ってあげられない親御さんたちは、どうか安心してほしい

大丈夫ですよ。と言いたい

子供は親が思っている以上に、ちゃんと感じとれてますと。

だから、申し訳ないなんて思わないでほしいと。

今は、わからなくても、私のようにわかるまで少し時間がかかっても

きっとその心の葛藤を子供が理解してくれます。と


母の日。

今はまだ、面と向かってこの話をお母さんにできるほど大人になれてはいないが、いつか、結婚式の手紙にでも、、書いて伝えようと思う

ひどいことをたくさん言ってしまった私にも無条件に愛を注いでくれるお母さんへ

どんなにつらい時でも、自分には絶対的な味方がいると思わせてくれるお母さんへ

ちょっと素直じゃないところがむかつくときもあるお母さんへ

会うたびに、あなたは私の宝物と言ってくれるお母さんへ

本当にありがとう。感謝しています。

thank you always.







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