自己肯定感を分析した。
数ある note の中から見つけてくださり、
ありがとうございます。
も モ カ と申します。
核心を突いた気がする。
最近、時間にもコンディションにも余白があるからか、ふとした瞬間のひらめきが冴えている。
わたしの場合、ひらめきを文章に起こすと、内容の解像度が上がる。「引き出し日記」というアプリを入れた。
さて、そんな中でも昨日のひらめきは自分の核心を突いた気がする、という話をしたい。
自分は、「自己肯定感及び自尊心が低いよね」とある程度の親交を深めた距離感の人から言われることが多かった。だから、「そうなんだ〜」と思っていたし、実際、「自分なんてできない人間だし嫌いだ」なんて方面の言葉は人の二生分くらいはすでに吐いている自信がある。
しかし、昨日は違った。
自分、もしかして自己肯定感はかなり高いのでは
自己肯定感の中でも自己有用感(この場合、できる もしくは やればできる!という気持ち)が高い
自己有用感が形成されたのは、勉強 - 運動 - 芸術 のバランスがとれた学生生活を送っていたから
前述したバランスの良さは、親の教育方針(できないことはみんなより先に予習する)によるものだ
しかしその教育方針により、
① 失敗は恥ずかしいことなんだ
② 自分はやればなんでもできる(努力至上主義)
という認識が自分の中で形成されたその上、生来の自分の特性として
① 自分にとって良くないことに対して
理性 <<< 感情 で受け止める
② 10 の良いことより 1 の悪いこと に影響される
というものがある前述した認識と特性によって、自分は
失敗体験に対し感情で傷付き、立ち直り(理性が働くまで)に時間を要する7.のサイクル一辺倒で生きてなんとかなってきたが、これが行き詰まった状態が今である
という仮説が出来上がったのである。
我ながら核心を突いているよね、と(最近復縁した)パートナーに話すと、
「それに加えるなら、芯となる自己肯定感(自己存在を肯定する気持ち)は弱いのもあると思うよ」
と返ってきた。さすがわたしの圧倒的負のサイクルを間近で見てきただけある答えで、頷ける。
たぶん、この仮説は間違っていないし、わたしの精神科の入院チーム(主治医の先生、担当看護師さん、心理師さん)もたどり着いていると思う。
次回の診察で、話をするつもりだ。
本当は違う話題もあったのだけれど、この話題の文字数が多くなったので、この辺で。
読んでいただき、ありがとうございます。