蝶として死す 羽生飛鳥著 平家物語推理抄
禿髪殺し、主人公は平頼盛です、清盛の異母弟、母は父平忠盛の正妻の池の禅尼、この母に長男として、育ててられた清盛は、恩がありますので、捕らえられた、頼朝の命を奪うな、と言われ助け伊豆に配流した.そして清盛は、太政大臣にまでのぼりつめたことで、子弟たちも相応の官位に昇進、それによって各自分家を成立した、清盛の嫡男重盛は小松流、異母弟頼盛は池殿流と呼ばれた、それぞれの邸宅名によって由来する.しかし平治の乱から九年の仁安三年、頼盛は兄清盛から突如参議の官職を剝奪された.平家一の知恵者と言われた頼盛、異母兄清盛に疎まれていた、その頃清盛は、禿髪をさせ赤の水干を着せた者たちに、平家に不満を持つものなどを、探索させていた、平家の威を借り狼藉を、働き民に嫌われていた.その禿髪の死骸を、見つけたと池殿頼盛の、屋敷に知らせにきた、ここから物語が始まります.この出来事を、解決して、朝廷に復帰しなければならない、己のみならず、家の子郎党の生活や命運が、かかっている.頼盛は右京の病葉の辻と言われた、死骸のある場所へ、池殿流平家筆頭家人の平弥平兵衛宗清を、ともに馬で駆け付けた.右京は水はけが悪く、貴族の邸宅は少ない、邸宅であった所の多くは、田畑や野原へ、変わり果て、特に貧しくいわけありの者が、暮らす吹き溜まりと化した.右京を眺めるうちに、母池禅尼から聞いた話を思い出した.父忠盛が若い頃に、右京に暮らす身寄りのない女と密会を重ねていたという話を.かの女は、女童と老いた下人を使うだけの、慎ましい暮らしぶりだった.父忠盛がそんな女の許へ、通い詰めた理由は、右京という寂れた地で、美貌と心映えが揃った非の打ち所がない美女と、会える面白さがあったからと、思うと母は、穏やかに語り、あいにく薄幸な美女は、病を得て亡くなったため、それきりの縁になった.後にその美女と見目形ばかりか、心映えまで似ている女と巡り合い、忠盛は妻に迎えた.それがわたくしと母は、朗らかに笑った.昔のことに目くじらを、立てず鷹楊に笑い飛ばす器の大きな母だから、白河院のご落胤や生母の素性が不明など、きな臭い噂の継子の清盛を、世間がするように粗略に扱わず、平家一門の棟梁として、盛り立てたのだろう.頼盛はその禿髪の首を、福原から戻り病臥している、長男重盛の屋敷に滞在している、清盛のところに持って行った.そしていう、禿髪は我が平家一門の耳目を担う、その耳目を害したのは、我が一門へ挑んだのも同じ、下手人を探し捕らえるべき、この任を頼盛にお命じ下さい.平時なら跡取りの重盛にさせるが、あいにく重盛は今、病を得ている、解官の身自由の利く自分に、命じるに違いない、三日以内に片をつけると、約束をする、勝算はあるのかと言われ、お前の好きにせよ、平家一門は禿髪一人損なうことは、許さないと世に知らしめよと.思ったよりも容易くことが進み、頼盛は立ち上がった.次の日弥平兵衛が、あの界隈を探索させた、ところ怪しい者を、見たという者を病葉の辻に待たせておりますので.ご案内いたします、禿髪の首が見つかったところに、馬を進めると弥平兵衛の郎党と老尼が佇んでいた.[お前が、紅梅尼か、某は、前参議平頼盛だ][自分は右京宇多小路に、暮らしている者です、昔は、さるやんごとなき姫君に仕えていましたが、姫君が身まかられてのちは仏門に入り、その屋敷を守り続けております]と自己紹介をした、ただの庶民がここまで口が回るとは思えない、かっては貴族に仕えていたのだろう、いろいろと遣り取りをしているうちに、申しました、街で得た布施を持って、姫君と暮らした屋敷へ戻ってくると、蔵の中に物はたった一つしかない、お仕えした姫君の文です、まだ姫君がご存命の折に、賜った螺鈿の蝶と蒔絵の花が、蓋に描かれた文箱に入れておいたのです.その文箱を盗んでいったのが、かの禿髪です.跡を追いかけて、見つけ盗んだ文箱を返せと訴えても、知らぬ存ぜぬの一点張り、姫君の形見を奪っておきながら、たとえ六波羅殿の禿髪であっても、決して許しません][挙句の果てにわたくしめを突き飛ばしていきました、ですからわたくしめも、禿髪が背中を向けた隙に杖で殴り、とどめに首を腰帯で締めた時に、何とも思いませんでした.ところがあの禿髪の体を探っても、姫君の形見の文箱が見つかりませんでした.禿髪が逃げる途中で、屋敷の木立のどこかへ隠したか落としたかに、違いないそこで屍をそのままに、屋敷に引き返しました.でも、いまだに文箱も、文も戻りません、禿髪殺しの罪を受ける覚悟は出来ておりますが、姫君の形見の品だけが心残りです]このことを聞いた頼盛はお前の文箱と文は某が見つけ出してやると言い、紅梅尼を池殿へ連行させた.それから弥平兵衛と、紅梅尼が住み着いている、立ち腐れ朽ち果てた、対屋と蔵だけが、残っている屋敷の鬱蒼と茂った木立の中、文箱を探し始めた.そして藪の中に螺鈿蒔絵の文箱が、蓋と箱が離れ離れに放置している.文は持ち去られていた.文箱を手にして蓋と箱を一つにした.すると何かのはずみか、箱の底が開き中から錦の袋が転がり落ちた.袋は長い年月をへて黒ずみ、錦糸をわずかに残すばかり、中から文がでてきた、長い年月のうちに、水や湿気にやられ、紙がふやけた後に乾いて固まっている.ほぐすように広げ、読み進め思わず目を疑った.これで確実に朝廷に返り咲ける、翌日、泉殿の兄清盛のところに、紅梅尼を連行した、明言したとうり下手人を捕らえるとは見事な手並みと、清盛は相好を崩す、頼盛はまだ報告は半分です.残りの半分とは何か、清盛の生母の素性は、いまだ詳らかではない、武士として初めて太政大臣となった稀代の傑物は、生母の手がかりを得るために、禿髪を都に放ったのだ。兄上が盗ませても入手しようとした、文の続きでございます、長い年月に濡れ塊まり、力を入れればどうにか紙が剝がれて読めそうです.当時女童だった紅梅尼は、五十年も前にしたためられた、文をとっておいたのです.死期を悟った女は、白河院や我らが父忠盛と、浮名を流した思い出や、彼女が祇園女御様へ猶子として、手放した男子についても記されていました.おわかりでしょう、書いたのは、我が母池の禅尼の思い出話に登場する、右京の女であり、兄上の御生母であります.兄上の御生母の名や出自や、実父については、剝がさねば読めません.ここより先は兄上が目を通して某にお教えください.[頼盛よ、気が利く]文を受け取った清盛は、傍らにある燈台へくべた.驚く頼盛に[これこそが、我が望み]清盛は、白い歯を見せて微笑した.禿髪を都に放ったのは、生母の素姓を世間から抹消するためだったのだ、そして言われる、[お前は血の重さに気が付いておらぬ、棟梁と正室の子として、血筋正しく生まれたお前は.父上が平家累代の名刀の一つ、抜丸の太刀を兄達を差し置いてお前に与えたのを、一度たりとも不思議に思うたか.兄達より優れているからではない.正室の嫡子だからだ.血は己の心の内をも左右する.俺は時に白河院の落胤と思うことで公家どもと渡合、ある時には忠盛の嫡男と思うことで戦いを乗り越えた.二人の父がいてこその俺だ.父もわからぬ、母も知れぬ境遇こそが俺を生かしている.だからこそ母の素姓を目にする前に文を燃やした][それが兄上の生きる道ですか][そうだ、お前が付き従う道だ.棟梁に従うほかに生きる道がないのは、承知であろう、それが平家一門の棟梁の弟に生まれた運命なのだからな][頼盛お前が利口で文箱の仕掛けに気づいて、文を見つけ出してくれたこと、うれしく思うぞ、すべて焼きつくせた][ところで尾張と延暦寺領の神人が小競り合いを起こしておるから、鎮圧に骨が折れる、お前の力を借りるぞ.池殿流の家の子郎党は強者ぞろいだから、頼りにしておる]解官取り消しの表明である.待望の言葉をかけられたのに、頼盛の心は晴れなかった.帰り道弥平兵衛がきずかわしげにこえをかけてきた.某を己の手の内に這う芋虫だと、思い知らせてくれたよ.朝廷に復帰させる言質を取れたから、我ら池殿流の勝ちだ、家の子郎党を家長である.自分が守るべき者達だ.[芋虫は蛹になる、今は蛹としてやり過ごす、いつか蝶となり、兄上の手の内運命から、飛び立ってやるぞ]手を握しめた、頼盛は三十六歳、清盛は十四歳上である.葵前哀れ、高倉天皇に召し出され、御寵愛の葵前の死因を、探り解決をしたが.頼盛は十一年ぶり二度目の解官だ.中納言と右衛門督のうち、武官のうち右衛門督のみ解かれたが、二日後清盛は所領のすべて没収した.頼盛の妻の兄弟が俊寛、彼の別荘、鹿ヶ谷で謀議があり、高倉天皇の母は清盛の正妻時子の異母妹滋子、中宮徳子と深い血縁関係にある.頼盛は高倉天皇の異母兄で聡明と言われる以仁王の、養育者である、八条院湘子内親王の後見を努めている.皇統の正統性を誇る、高貴な女人である.ついでに頼盛の勢力も削いだのだ.以仁王が立ち、東国で源氏が旗上げをした.富士川の敗走で逃げ帰った平氏、清盛が死んだ.屍実盛、都に木曾義仲が俱利伽羅峠の勝ちに、都に入った、平家一門は都を捨てて西国へ落ち延びる際.一門とその家臣達の屋敷を、焼き払っていった.兄清盛からは抑圧されてい、棟梁の座を継いだ、甥の宗盛とは折り合いが悪く.この度の都落ちを機会に、決別した、その頼盛のとこに、弥平兵衛が木曾殿がお話をしたいとのこと、ただちに八条御所へお戻り下さい.待っていた義仲は、おぬしは、平家一門きっての知恵者との噂を聞いて、頼みがあるという、それは斉藤別当実盛の、骸を見つけてほしいのだ.己が一歳の時、我が父義賢が討たれた、巻き添えで殺されそうに、なった己を救いだし、木曾へ送り届けてくれたのが、斉藤別当、義仲の家人が、名乗らぬ武将と戦い首を、落とした者の素性が、斉藤別当であった、白髪を染め若く装って出陣していたのだ.急ぎ首塚を築いておいたが、掘り起こし斉藤別当の首と胴を、一つにして葬らうと、したが三月もたっている、わからず斉藤別当と、思われる死体の中から見つけ出してくれ、そして、頼盛はの死体の中から手の爪に、黒く墨が残った屍こそが、斉藤別当である.と申し上げよと後を弥平兵衛に、託し都を抜け出した.弥平兵衛は池殿と袖を、分かつことを決めたのは、斉藤別当の身の振り方を、見たこと、おのれが頼朝殿を、助命嘆願したせいで、主を苦境に陥らしたこと、頼盛達の都を、脱出する計略を、打ち明けられたとき、もうこれからは付き添い、お守りする理由はありません.長年の恩顧と共に、死線を乗り越えた朋輩たちとの、紐帯を重んじ西国にある御一門の許へ、馳せ参じるつもりです.頼盛郷は猛反対され、翻意を促されたが、拙者の生きる場所は、平家の家人として、人生を全うし蛹ではなくて、蝶としていきたいと.弥平兵衛は西国へ.
続く