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なんか京都に集まった人たち【健文会活動報告書】

「今日は健康的で文化的な旅だったね」
帰り際に4人の誰かがそんなことを言った。

それが私たちの始まりだったと思う。


時はコロナウイルスによる外出禁止が緩和された2022年の2月に遡る。

私は病んでいた。

大学1年は入学直後からほぼ全ての授業がリモートで行われ、バイト先と自宅を行き来するだけのつまらない生活を送っていた。加えて、当時付き合っていた彼氏と少しずつ合わなくなり、とにかく私は精神的に参ってしまっていた。

春休みも特に予定はない。

そんな時に、高校の同級生から久しぶりにLINEがきた。
「ハヤシさん、ラジオやってた笑」
同級生と私が好きな東大卒のゲーム実況者がラジオをやっている。ただそんな普通のLINE。

だが思った、これはおそらく春休みに何か少しでも楽しい予定を入れるチャンスだと。

「ところでさ、3月空いてたりする??」
「もしよかったら昼ご飯とか行かない??」

私がこのように誘うとその同級生は快諾してくれ、すぐに日程や行き先を決めることになった。

「もうちょっと長めに時間をとってどこか行くのもいいし、予定合う同級生の誰かを誘ってもいいし」

その同級生はそう言った。


半月ほど時は進み、2022年の3月。
烏丸駅に高校の同級生4人が集まっていた。
一部、個人同士である程度関わりはあるものの、傍から見れば謎集団。そんな4人。

事前に各々行きたい場所を出していたので、それを順番に巡ることになった。

まず訪れたのは護王神社。
イノシシ神社と呼ばれるように、とにかく神社全体がイノシシを全面に押し出していた。私たちは手洗い場にたくさんいるイノシシにご挨拶したのち、きちんとお参りをした。すると境内に「いのししコレクション」があるのを発見した。

いや、イノシシやけどこれもアリなのか?

コレクションの中には鬼滅の刃の伊之助がいた。他のコレクションより明らかに目立っている。4人で「鬼滅おるねんけど」と小盛り上がりをした。


次に訪れたのは一保堂。
歴史あふれる店内で、私のみ若干緊張しながら席についた。メニューを見てみると

「夏彦や!京極夏彦おる!」

どうやら、ふんわりとした口当たりが特徴な薄茶の中に、「京極の昔」というものがあったのだ。他の2人もそれに食いつき、静かな店内で3人が盛り上がる声が少し響く。

だが、ここで私、
「「「京極夏彦が誰か分からない」」」

本当に無知、自分の無知を晒すだけだと分かっているが、これまで生きてきた短い人生で一度も聞いたことがない。どうやら3人の話を聞くと、京極夏彦は小説家らしい。いや本読まんし私。
ただただポカンとする私の横で3人の盛り上がりはさらに高まっていく。まだ注文してないぞ。

もう見た目から察せるように、美味しかった。
茶道部に所属していた妹に対し、私は何の作法もわからない身。とりあえず、くるくる回して飲んだ。
そんな私の目の前で、同級生①は1人茶をたてる。私は即座にスマートフォンを取り出し、動画を回す。すると、同級生②が上視点映像を撮影し始める。

シュール。シュールすぎる。

しかしそれを気にすることなく、同級生①は「泡の大きさが均一だといいらしい」と言いながら、茶をたてる。
茶をたてる人、1カメ(正面)を担当する人、2カメ(上)を担当する人、それを見る人、皆無言だった。

そして一言、「泡は不均一でございます。」
すると茶筅が倒れる。

流石に笑ってしまった。

上視点

次の目的地へ向かう道中、派手な立て看板を見つけた。かの有名な京大熊野寮のものだ。

その近くにパブリック本棚があった。私以外全員が読書を嗜むので、3人は「この本いいよね」「これ読みましたよ」と会話が弾む。本を読まない私は静かに見守るしかできなかった。


そして到着したのは平安神宮。
何度か家族で行ったことがあるので、あまり新鮮味はない。何したかあんまり覚えてない。多分普通に参拝したのだろう。

その後、平安神宮から少し歩き、西尾八ッ橋の里で蕎麦を食べた。蕎麦を待つ間、同級生③が眠りについた。ここまで動いているので疲れが出てきたかなと思ったが、そういえば彼女は高校時代から「眠り姫」だった。

また店内には結構ちゃんとした日本庭園があり、食べ終わったあとに軽く散歩に行くことができた。私はもちろん外には出ず、涼しい快適な店内でみんなを見守っていたが。


最後に、京セラ美術館の常設展を見に行った。
絵を鑑賞する時間よりも、美術館内の中広場で休憩する時間の方が長かったように思える。ベンチで休むもの、写真を撮るもの撮られるもの、遠くから見守るもの、本当に何でもありだった。

一応ちゃんと常設展の話をしたかったのだが、マジで何見たか覚えてない。LINEを遡ると「川人綾と、森村泰昌」の作品があったらしい。
とにかく、そんな感じで広場で遊んだ記憶の方が強烈だったのだ。

また正直このブログにその時の写真を載せたくて仕方がないのだが、少し前のブログで勝手に顔写真を載せる学校広報に腹を立てている人(同級生①)がいたのでやめておこうと思う。


そんなこんなで帰り道。
歩いて駅に向かってる時か、電車に乗っている時か、いつだったかは覚えていないが

「今日は健康的で文化的な旅だったね」

と誰かが言った。

振り返れば、本当にそう。
京都のバスがよく分からないという理由で、目的地間はほとんど歩きで移動している。また巡った場所も50代で人生が落ち着き始めた夫婦のような、渋いのばかり。4人でそのことについて笑い、落ち着いたところですぐに次回開催の話になった。

こうして、ただの同級生4人組は
「健康的で文化的な旅をする会」となった。

「健文会」として家族・友人など私たち4人を取り囲む人々ほぼ全員にその存在が認知されるのはまた別のお話。


創始者のあとがき

もう2年半も前のことなんですね。
健文会の創始者はどうやら私らしいので(他人事)、こうやってお誘いした理由+第1回について書いてるわけですけども。だんだんと忘れていることに気づいて、少し悲しいです。流石にか。
まあ今回は思い出すちょうど良い機会でした。
こんなに第1回健文会の写真を1枚1枚見返したのは久しぶりかもしれません。なんてたって、私の携帯には健文会の写真が約3,500枚、動画が約470本あるのですから。
健文会の撮影係、一員として、みんなとの思い出を少しでも覚えていられるように、忘れないようにこれからも頑張りたいなと思いました。

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