花火と夏の匂い
「来ちゃった.....」
そうなのだ。とうとう来てしまったのだ。わたしたちは。ここまで。
なんと素晴らしい行動力!そんなこと誰が言うだろう。
目の前にあるのは川と屋台と人人人。
とにかく人でごった返している。屋台特有のお腹をくすぐるいい匂いがする。
ぬるま湯が肌に張り付いているような天気だった。夏にしては涼しい方なのかもしれないが、風が吹かないせいか暑く感じる。
中学校指定の夏服が体にぺっとりとくっついていて、なんだか気持ち悪い。
「今日さ、花火大会あるんだって」
Hの一言が始まりだった。
みーんみんみん元気よく鳴いてるセミにもう少しでかき消されてしまいそうな一言。
マウスピースのために持ってきたタオルはいつの間にか首から吹き出る汗を吹くためのものになっていたそんな夏休み中の部活のある日。
夏らしいことを話題に話していたわたしとHはその花火大会で持ち切りとなった。
「花火大会?!行きたい行きたい!」
「うーん...私もそう思ってたんだけど」
すこし渋っているHなんておかまいなしに、わたしの中には花火大会の事しかなかった。
「実はさ、開催場所がK市なんだよね」
渋る理由も納得だった。K市は当時中学生だった私たちにとって行ったことのない未知の場所だったから。
それでも。それでも私たちは部活が終わって家に帰らず、駅に来ていた。
もう四時。おそらく例の花火大会に行くのであろう浴衣を着た女の子たちが騒いでいる。
制服姿で少ない荷物だけの私たちはその場では浮いていた。
電車に乗り、隣同士の椅子に座る。がたんごとん。
連なる建物から見慣れない田んぼへと窓の外の景色が移り変わる。もう、太陽が沈もうとしていた。
一時間半ほどで目的地についていた。
「暑いし、おなか減った」
「わたしいちごあめとかき氷食べたい」
「いいねえ。私やきそば買おっと。」
「あ、やきそばわたしも食べる」
「じゃ、二人で半分こしよ」
家族のことも、先生のことも、部活のことも、好きな人のことも、私たちは口にしなかった。なんとなく、この時間だけは、ただの女の子でいたかったのだ。
いつか学校で配られたプリントをお尻の下に敷いて、屋台での購入品を食べた。小学校でやってる夏祭りの屋台のものとは全然違った。おいしい。
ぬるま湯からあがったかのようにきもちのいい空気がわたしを包んでいる。日が、暮れたのだ。
午後八時。
あたりはすっかり真っ暗になり、人々の花火への期待が大きくなっている。わたし達も二人で手を握り合ってその瞬間を待っていた。
此処の花火は近くで見れることと、とにかく綺麗ということで、有名らしい。
光が、わたしたちを照らした。
最初の花火が打ちあがった。
今にもわたしたちのもとに降り注いできそうだ。
何色もの花火が次々と空に浮かんでくる。誰もが歓声をあげている。
「私、来れて本当によかった」
「…わたしも」
なんだかもう、泣きそうだった。多分、彼女も。
中学三年生の私たちは閉じ込められていたのだ、ずっと。もがいてももがいてもどんどんおぼれていく世界で生きていたのだ。初めてこんな場所で生きているから、どうすればいいのかわからなくて。でも誰も助けてくれなくて。
どんどん自分の行くべき道を決めていく友人たちに対して、焦りを感じていた。勉強も部活も進路も、一度に抱えきれない量の課題が、わたしを引っ張り続けた。
こんな場所もあるのか、と思った。知らない場所で知らない人に囲まれた場所。
きっとここに、わたしたちのことを知る人はいない。ただそれだけでなんだか気持ちが軽くて、自分の全てだと思っていた世界がどれだけ小さいものなのかを知った。
今わたしは生まれ育った場所を離れ、一人暮らしをしている。
その選択肢をわたしに与えてくれるきっかけとなったのはあの日だ。あの日がなければ、きっと今も狭い世界で生き続けていたのだろう。
今、一人で暮らしていて、たしかにさみしい気持ちも大きいが、何よりも自分が自由であるという気持ちが一番にある。
花火大会の帰り道、がらがらの電車の中。もう外の景色は何も見えない最終電車。
わたしたちは手を繋いで、互いにもたれあってぐっすり寝ていた。
これからこっぴどく叱られるであろう未来は、たいして怖くなかった。
「二人で、怒られよう」
きっとそれは彼女がこういってくれたからだ。
あの夏の暑くて長い一日は、今もわたしの中の記憶にはっきりと残っている。
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