例え心が健康だったとしても
最近、偶然「セラピー」というものに触れる機会が重なり、興味津々です。
その1 メンタルヘルスクラブ | the Mental Health Club
インスタでたまたま見つけて、投稿のデザインがかわいいなあ、と思ってフォローしている。
ここで知ったのが「セラピー」で、それはアメリカでは、心の健康のために欠かせない存在だということ。
日本だと、「カウンセリングを受けている」とか「精神科を受診している」のは「病んでるの?」「えっ心配・・」となるけれど、アメリカではそれは「え!いいね!わたしもそろそろ行こう~♪」みたいな感じらしい。「わたしのセラピーはいつもこんな感じで~」みたいなことも、普通に友達と話すんだって。(本当にそうなのかは知らないけど)
確かに、ジムに通ってダイエットをしたり、サウナやヨガに行ったりして「身体を整えている」というのはみんな自慢するし、「すごい!わたしもやらなきゃ!」なのに、「カウンセリングを受けている」「精神科を受診している」などは自慢できないし、「そうはなるまい」的な「避けるべき事態」なのはなんでだろう。
大学内にもこういった機関が設置されていますが、わたしもバイアスがあったから、誰が見ても「心が深刻な不調に陥っている」としか思えない学生に対してしか勧めたことがなかったです。
これからもう少し気軽に勧めてみようかな、と、今日、改めてそこの機関のHPを読んだけれど、「深刻に困っている方は来て」的な文言だったので、難しいなって思った。
その2 例え心が健康だったとしても
この本の中でも、著者がカウンセラーのためか「セラピー」という言葉が頻繁に出てくる。
本の中で「YAVIS(ヤ—ヴィス)」という言葉を知った。以下の5つの要素を兼ね備えている人のことを指すらしい。
本の中では、YAVISな人たちのセラピーの話が出てくる。それが、わたしにとっては印象に残った。
カウンセリングを受ける人を想像してみた時、わたしはどうしても「YAVISとは逆の人」をイメージしてしまう。
もちろん、YAVISであっても、みえないところに「複雑さ」を抱えている人などもいるだろうとそのくらい想像はできるけれど、でも、本には、そういった複雑さすらない「心が健康な人」も、定期メンテナンスのようにセラピーを受けているのだ。
やっぱり、アメリカって「割と普通に」「誰でも」セラピーを利用する文化があるのかな、いいな、と思った。
その3 HSPらしいので
こんなに興味深々だが、わたしは「カウンセリング」というものを自ら申し込んだことはないし、そして、職場で設定された「管理職との面談」とか、誰かを「ご飯に誘って」「何かを相談すること」とかが苦手。悩みを聞きだされて言わないといけない状況も苦手。自己開示が目的の場は面白くない~~
だけど、こうして文章を書くこととか、友達と遊んでいる時にふと話すことは大好き!!!「セラピー」というものではなくても、自分が今どんなことを考えていて、どんな心の状態でいるのかを気軽に外に出すことは、自分にとって非常に重要なんだなと思う。
そうそう、先週くらいに大学の時の友達と一緒にHSP診断をやってみたら、どうやらわたしはHSPらしい。そうだなと思う部分と、全くそうではない部分があるので微妙なところだし、生きにくいと思ったことはないけど…。(内気とは真逆人間だしなあ)
でも、心の不調に陥りやすい側にいるんだな、わたしは。ということは、意識しておこうかなと思いました。
その4 先輩のはなし
↑この先輩なのですが、すごく良い方ではあるのですが、自虐ネタが多く、基本自分に自信がない発言が多いので、話を聞くのは結構体力がいる。
そんなに自分を傷つけて楽しいのかな?と思う。
仕事の課題は、ぜひ頼ってほしい。でも、仕事で抱えている課題を発端に、崩れていく自己肯定感を満たすためには頼って欲しくない。
自分で言うのもなんだけど、このへんを切り分けて線引きしつつ、先輩をコントロールしながら話を聞いて(仕事の面のみ)協力して、また先輩の信頼を勝ち取るのがわたしはうまい。笑
だからストレスでもなんでもないのだけれど
この間、わたしは生意気なので、今なら言える!と
「先輩は自分を好きになる努力したらいいんじゃないですか??」と言っちゃった。笑
で、「どうやって…」と困っていたので、「んーなんかセラピーとか?」と勧めておいた。(適当すぎ)
おまけに
「○○さんはなんにも考えてなさそう、本当に仕事楽しそう」
と言われて「え~」って思っちゃった。
わたしめっちゃ考えてるんだけど~~~
でも「いつもハッピーに見える」のは、嬉しい。相手にネガティブだなあ根暗だなあと思われていいことないから。笑
そんなわけで、まとまりないですが、今日もお疲れさまでした♩