どうでもいいかどうかは、受け手が決めるから
同期の1人に、大泉洋や阿部サダヲみたいなキャラの、とにかくずっとくだらないことで人を笑わせている人がいる。
わたしはツボが浅いがばかりにいつも笑ってしまっていて
しまいには
「◯◯さんを1日1回笑わせるのが目標だから」
とまで言われている。
この人と話すことがわたしは好き。楽しいから。
でも強烈なトーク力で面白いからこそ、たまに失礼なことをぶっ込んできて「今の失礼!!!!うっざーーーー」となる。(本人にも、今の失礼よ、と言ってしまう。笑)
でもたいてい「でも笑ってるから負けでしょ」と返されるので、こちらも「そうね、悔しい負けました」となる。
せいぜい、その程度の失礼さなのである。
人を笑わせるのには、技術、それから人に対しての洞察力や敬意が必要だと思うんだけど、この人はその塩梅がよくわかっているのだなあと、とても尊敬できる。
もう1つ尊敬できるところがあって、それは、この同期は適当に見えて、実はとっても思考が深くて、いつもハッとさせられることを言ってくれる。そんなところ。
ちょっとしたことだし、きっと本人は、自分が格言じみたことを言っているつもりは全くないと思うのだけれど、いつもじわじわ「ああ、いいな素敵だな」と思うのだ。
例えば先週のこと。
仕事中に雑談をしにわたしの席のところにやってきて、「来月、新潟出張行くんだ」と報告してきた。
わたしは
「ええいいな!!楽しんで!新潟市内?」「新潟さ〜行きたいお店があって。でもそれだけのために旅行するのはなあと思ってて、だから出張したかった場所なの。」
と返したその後すぐ
(あ、「いいな楽しんで!」だけでよかったのに、自分が行きたいお店があったとか余計なこと言ってしまった……)
と思い、焦って
「あっごめん、どうでもいいことを(聞かせて)…」
と付け足した。
そうしたら
と言われた。
まず、一瞬にしてこういう返しができるのすごいなあって感心してしまった。
そっかぁ、どうでもいい内容かどうかは受け手が判断するからこっちが言うことではないのかぁ。
それに、「そっかあ、自分の中に抱いた感情とか、思っていることとか、最近のネタとか、そういう色々なことを「どうでもいい」と自分で謙遜するのは、自分に対しても、会話をしてくれている相手に対しても失礼だな」と思った。
「ぺらぺら言いたいこと言って、それを面白がってくれる人だけを大切にしていればいい、ただそれだけだよなあ」と思い直したというか。
(もちろん、相手の会話を遮って自分の話ばっかりしている人とか、相手の気持ちをわきまえずに自分の言いたいことばかり言う人の周りからは言わずもがな人が去っていくためそれはまた話は別だけれど)
仮に、自分の話を「この人どうでもいい話しかしないなあ、つまんないな」と思っている人がいたとしたら、その人は心が狭いか、それか単純にウマが合わないので、いずれにしても関わらない方が良い気がした。
思い返すと、わたしは結構「ごめんねどうでもいいことを〜」と人に言ってしまっている気がする。ただ、どうでもいいことを話せるという時点で、その人とすごく仲が良いはずで、その人たちはどんなことも、ぜーーーーーーんぶ面白がってくれる最強陣。
何も心配することはないのだ。
※本気でどうでもいいことを言った際には、謝る隙もなく「ねえどうでもいいわ!!」と速攻で突っ込まれている気がする。
この同期だって、まず、新潟出張に行くという報告は、聞く人によっては「どうでもいい」。だけど、わたしはこの同期とは何話しても楽しいから、新潟出張するという報告も面白トピックだし、向こうもそれを分かっているからこそ「今度新潟に行くんだ〜」と仕事中に自席まで来て雑談してくれて、また帰っていくのだ。
わたしがペラペラ話してしまおうと、何も心配することはなかった。
そんなわけで、以降、「ごめん、どうでもいいことを」と口に出すのを控えるようにしようと思い、それから、今後誰かに「ごめんねどうでもいいことを」と言われたら「どうでもいいかどうかは受け手が判断することだし、わたしは〇〇の言うことは全部面白い!」と返そうと思った。
そんな先週のある日のことでした。
ーー
あまり更新しないと、色々な人に「note最近書いてないね?」と言われる。
ありがとう読んでくれて。どうでもいいことを。笑
(と早速ほら言いたくなるのよ。)
最近、muuteというジャーナリングのアプリにハマっていて、
そこに色々書いて満足してしまっているのです。おすすめアプリ!
今日もお疲れ様でした♩