#9 わたしの"国際協力"の原点(黒幕のゲルニカを読んで)
国際協力、この言葉を知ったのはいつだっただろうか。
物心ついた時から、自分は日本以外のどこか遠い国に関心があった。
関心があると言っても、国際知識検定とかも受けたことがなく、恥ずかしながら今でも世界の国旗すら数えられるほどしかわからない。
多分、はっきりと世界や外国に興味を持つようになったのは、小学4年生の夏休みに訪れた、地元のJICA。
わたしの出身地は研究所が多く、スタンプラリーと称して研究所や美術館などを巡る限定企画が夏休みの宿題の一つだった。
多く巡れば巡るほど、賞状や参加賞がもらえるなど特典がつく。そんな企画だ。
小学校の先生ということもあって、そういう企画や宿題に積極的だった叔母に連れられて、JICA筑波に訪問した。
小学生向けの企画の展示や民族衣装の試着体験、どこの国のものかわからない楽器を即興で演奏させられたり…など、いろんな企画が用意されていた。
運命はここで変わったというか、決まったのかなと今振り返って思う印象的な出来事があった。
それは、社員食堂でアフリカ人の職員さんと過ごした時間だ。
くもんで英語を少し勉強していた私は、多分、自己紹介と簡単な質問ぐらいはできたのだと思う。
話した内容を正確に覚えているわけではないけれども、奥さんや子どもと離れて日本に来て、JICAで働いているということだった。
これを機に、私の職業観というかロールモデルは、国籍問わず世界中のいろんな人と一緒に働く、というものになった(のではないか)と思う。
正直、大学の学部を決めた時も、ざっくりと”国際”、”英語を大学レベルで学べる”という条件で決めてしまった。でも、なぜ国際じゃなきゃダメなのかについて深く考えたことはなかった。国際関係以外は興味がなかった。
大学1年では、主に戦争という切り口から、「テロとの戦争」についてゼミ論文を書いた。一年生だったので内容はカスカスだったが、6000字以上というなかなかヘビーな課題だった。
どうして戦争だったのか。
それは、ただなんの罪もない人たちが戦場で死ぬ、人と人が殺しあう、そんな世界が嫌だったからなんだと、今日、原田マハの『暗幕のゲルニカ』を読んで、気づいた。
”どうして紛争や貧困などの理由で、自分の意思に反して人が死ななきゃいけないんだろう”
これが私の国際協力の核となる問いである。
要は、そんな風に人が死んでしまったり、死ななくとも苦しんでいる人が確かに存在するこの世界が嫌なのだとわかった。
国際協力というと、どうしてもボランティアとか慈善事業とかのイメージは強いし、自分も可哀想とかそういう同情の気持ちがなかったとは言えない。
でも、将来をどんな風に生きていきたいか、何を成し遂げたいのかを考えた時に、同情や憐れみの気持ちで国際協力に向き合うのは限界があるような気がした。
その人たちのためだけにやっているんじゃないんだと思った。
そんな世界の現実を変えることは、自分のためでもあった。
今まで意識してこなかったけど、確かに私の問題意識はずっとそこにある。
別に開発を望んでない人たちに対して開発することが、本当にその人たちの厚生に繋がるなんて思ってない。その人たちの幸せは、その人たちで決めるものだから。
でも、こうしたいという意思がある人たちに対して手を貸したり、一緒に頑張ることは、助け合うことで生きられる人間として当たり前の行動なんじゃないかと思う。というか、これが人間として生きる意味なんじゃないかと思う。国際協力は、その最たるものなんじゃないかと思うのである。
もっと人のためになりたい、なんかしたいと思うのは、偽善なんだろうか。
世界の人に、世界の問題に目を向けてはいけないのだろうか、答えは絶対にNoだと思う。
もっと世界のみんなが自己実現できる社会を、私はつくりたいし、そこで生きて生きたい。
٩( ᐛ )و