大谷翔平よりも前に「50-50」に近づいたのは?


ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平が移籍1年目で前人未到の偉業を成し遂げた。

2024年9月20日、敵地のローンデポパークでの対マイアミ・マーリンズ戦で、MLB史上初となる「50本塁打・50盗塁」を達成した。

2024年シーズンは最終的に、54本塁打、59盗塁まで記録を伸ばした。


MLBで「50-50」は史上初

MLBの長い歴史でも、シーズン50本塁打と50盗塁を同時に達成した選手はいなかった。

MLBで同一選手が別々のシーズンで50本塁打と50盗塁に到達したケースも、大谷翔平が3人目である。


1992年、ボルティモア・オリオールズのブレイディ・アンダーソンが53盗塁、その後、1996年に50本塁打を放っており、MLBで始めて、シーズン50盗塁と50本塁打に到達したことがある選手となった。

その後、1990年にピッツバーグ・パイレーツのバリー・ボンズが52盗塁、2001年にサンフランシスコ・ジャイアンツで、MLB史上シーズン最多となる73本塁打を記録している。
同一シーズンでの50本塁打、50盗塁は大谷翔平が初めての偉業となった。

MLBで「40-40」もたった6人だけの偉業

MLBの歴史で、同一シーズンに「40本塁打・40盗塁」を成し遂げた選手は大谷翔平が6人目である。

1988年、オークランド・アスレチックスのホセ・カンセコが、MLB史上初となる「40本塁打・40盗塁」に到達すると、1996年にはサンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ、1998年にはシアトル・マリナーズのアレックス・ロドリゲス、2006年にはワシントン・ナショナルズのアルフォンソ・ソリアーノが続いた。

アトランタ・ブレーブスのロベルト・アクーニャJr.は2019年のシーズンに41本塁打と37盗塁を記録し、同一シーズンに「30本塁打・30盗塁」を達成した選手はMLBで14人目となったが、2023年には41本塁打、71盗塁をマークし、MLB史上6人目となる「40-40」を達成した。
しかも、「30-30」を25歳のシーズンまでに2度も記録したのはMLB初の快挙となった。


NPBでは「30-30」が12人、「トリプルスリー」は10人


NPBでは、「40-40」を達成した選手はまだないない。
30本塁打・30盗塁」を達成しているのは12人、18度ある。
そのうち、「打率3割」も加えた「トリプルスリー」は10人、12度である。

「トリプルスリー」は「和製」の野球用語であり、MLBでは話題にされることはないと言ってよい。

1983年に、阪急ブレーブスの蓑田浩二が、30本塁打、30盗塁に加え、打率3割を達成したことで、スポーツメディアから取り上げられるようになり、2002年に西武ライオンズの松井稼頭央が達成した際に、スポーツ新聞の記事に「トリプルスリー」という言葉が生まれたと言われている。

NPBで「30-30」に惜しくも届かなかった選手は

NPBで「30本塁打・30盗塁」にあと一歩、惜しくも届かなかった選手もいる。

特筆すべきは1950年で、2リーグ分立後、セントラル・リーグでは松竹ロビンスの岩本義行、パシフィック・リーグでは毎日オリオンズの別当薫が、「打率3割、30本塁打、30盗塁」を記録しているが、他にも、読売ジャイアンツの川上哲治は本塁打あと1本、青田昇もあと盗塁1個というところで惜しくも逃している。
松竹ロビンスの小鶴誠は51本塁打、28盗塁で、あと少しで「50本塁打・30盗塁」という快挙であった。

さらに、1958年、読売ジャイアンツの大卒新人、長嶋茂雄は開幕から打ちまくり、走りまくった。
9月19日、後楽園球場での対広島カープ戦、5回裏二死走者なしの場面で長嶋は左中間スタンドに叩き込み、8試合ぶりとなるホームランを放った。
1953年に西鉄ライオンズの高卒新人、豊田泰光が27本塁打で新人最多本塁打をつくったが、その記録を更新する一発となるはずだった。

ところがが、長嶋は一塁ベースを踏み忘れ、ホームランを取り消しの憂き目に遭った。
長嶋はこの1本があれば30本塁打の大台に乗せることができたばかりか、NPB史上4人目の「打率3割、30本塁打、30盗塁」という大記録を逃した。

NPBで「40本塁打・40盗塁」にもっとも近づいたのは


前述の通り、NPBで「40本塁打・40盗塁」、いわゆる「40-40」の達成者はいないが、もっとも近づいたのは、1990年、西武ライオンズの秋山幸二の35本塁打・51盗塁である。

その後、「30-50」の達成者もおらず、2001年、ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)で秋山幸二の同僚であった井口資仁が30本塁打・44盗塁をマークしたのが最高である。


NPBで「50本塁打・30盗塁」にもっとも近づいたのは


NPBで「50本塁打・30盗塁」にもっとも近づいたのは、前述の1950年の松竹ロビンスの小鶴誠で、51本塁打・28盗塁である。

実は同一シーズンに50本塁打以上を放って、かつ30盗塁以上を記録した選手は、MLBでも大谷翔平の達成以前は存在せず、小鶴の記録はかなりレアで貴重で価値があることがわかる。


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