【2008年9月11日】阪神、NPB史上3度目の同一カード3試合連続サヨナラ勝利

2008年9月11日、セ・リーグ首位をひた走る阪神は、本拠地・阪神甲子園球場で行われた対ヤクルトスワローズ戦、2-4と2点ビハインドで9回裏を迎えていた。
ヤクルトはクローザーの林昌勇がマウンドに上がった。
だが、甲子園に集まった43287人の観客のうち、そのほとんどを占めるタイガースファンは今夜も何かが起こるという確かな手ごたえを感じていた。

阪神はこのカード、1戦目を矢野の劇的なサヨナラホームランで勝利を収めると、2戦目はやはり葛城が押し出し四球でサヨナラ勝ち。

2位の巨人は5位のヤクルトと3位の中日にまさかの3連敗を喫してこの試合が始まる前に、ゲーム差は6に開いた。
巨人はまだ23試合を残しているが、もはや青息吐息状態だった。

阪神は前日、内野のレギュラーを張っていた関本賢太郎がNPBタイ記録/セ・リーグ新記録となる1試合3死球を食らって登録抹消となった。
代わって今岡誠が登録された。
この年、今岡は開幕からもがき苦しんでいた。
今岡は2003年に打率.340で首位打者、2005年には29本塁打、146打点で打点王のタイトルを獲得し、いずれもチームを優勝に導いた。
だが、2006年には打撃フォームの改造から不振となり、ケガもあって低迷、2007年も夏場に登録抹消の憂き目に遭った。この年、2008年は開幕から攻守に精彩を欠き、5月25日に登録抹消された。

この日、今岡は鳴尾浜での練習中、岡田彰布監督から直々に電話を受け取った。
「一軍、スタメンやからな」
この日は奇しくも今岡にとって、34回目の誕生日。
夕方から家族と祝う予定だったが、数時間後、甲子園のグラウンドには真っ黒に日焼けした今岡の姿があった。
実に3か月半ぶりの一軍復帰だった。

「3番・サード、今岡、背番号7」
甲子園に久々に響き渡るコール。今岡は復帰初打席でその期待に応えた。
阪神先発のリーソップが初回、いきなり2失点と先制を許していたが、その裏、1死一塁の場面で、今岡はヤクルト先発の左腕・石川雅規と対峙した。
今岡はファウルで粘った後の9球目、石川のスライダーを捉え、ライナーでレフトスタンドに叩き込んだ。一軍では実に4か月ぶりに放つ一発だった。

その後、阪神のリリーフ陣が2点を許し、2点ビハインドのまま9回を迎えた。
だが、3年ぶりのリーグ優勝に向かって突き進むタイガースの勢いは本物だった。

まず先頭の代打・桧山が二塁打で口火を切ると、続く葛城がライトフェンス直撃の一打を放ち、三塁打で1点差。
さらに矢野がライト線を破る二塁打を放ってあっという間に同点に追いつく。
1死後、赤星がレフト前安打を放つと、平野は敬遠で歩かされ満塁。
今岡が右打席に入った。
1死満塁と追い込まれた林はストライクが入らない。
カウント3-0から投じられた4球目を今岡は見送ると、主審はボールを宣告した。
今岡の押し出し四球で阪神が同一カード3試合連続でサヨナラ勝ち。

阪神の3試合連続サヨナラ勝利は2002年以来、6年ぶりだったが、同一カードでの3試合連続サヨナラ勝ちはNPB史上3度目という椿事であった。

お立ち台には真っ黒に日焼けした笑顔の今岡の姿があった。





この日、2位の巨人が勝利したが、阪神は優勝へのマジックを「17」とした。
阪神の残り試合は21試合。

岡田政権となって5年目、2005年以来2度目となるリーグ優勝は着実に近づいていた。



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