広島・大瀬良大地、35回1/3連続無失点
広島カープの右腕・大瀬良大地が、登板中、敵チームのスコアボードに「ゼロ」を並べ続けている。
6月29日、東京ドームでの対読売ジャイアンツ戦に今季12試合目の先発登板した大瀬良は5月31日、みずほPayPayドームでの対ソフトバンクホークス戦の1回に1失点(自責点はゼロ)して以降、6月7日、マツダスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ戦でのノーヒットノーラン達成を挟み、29イニング連続で無失点を継続する中でのマウンドであった。
大瀬良は初回、巨人打線を三者凡退に抑え、30イニング連続無失点とし、広島の球団記録3位の佐々岡真二(1991年)と並んだ。
2回も三者凡退に抑えて、佐々岡を抜き球団3位となる31イニング連続無失点とすると、3回まで打者1巡をパーフェクトに抑えた。
4回2死から3番・ヘルナンデスに二塁打を浴び、この試合、初の走者を出したが、後続の4番・岡本和真ショートフライに打ち取った。
5回も三者凡退に抑えたところで、34イニング連続無失点となり、球団2位の今村猛(2012年)に並んだ。
6回は1死後に9番・投手のグリフィンにセンター前ヒットを打たれたが、1番・丸佳浩はショートゴロ併殺打に打ち取って難を逃れ、35イニング連続無失点で今村の記録を抜き球団2位となった。
続く7回もマウンドに上がった大瀬良は、先頭の2番・吉川尚輝にライト前ヒットを浴びると、1死後、4番・岡本和真にレフト線への二塁打を許し、1死二、三塁とこの試合、最大のピンチ。
ここで広島・新井貴浩監督が大瀬良の交代を告げた。
巨人の左打者の5番・大城卓三を迎え、広島2番手は左腕の塹江敦哉がマウンドに上がり、ファーストゴロに仕留めると、三塁走者の吉川は本塁に還れず、2死二、三塁。
引き続き、巨人は一打同点・逆転の場面、6番・右打者の岸田行倫を迎えたところで、広島ベンチは「一人一殺」の投手継投を見せる。
右打者を得意とする左腕の森浦大輔がマウンドに上がると、森浦は岸田を三振に斬って取った。
カープは同点の危機を脱し、大瀬良の無失点記録も「35回1/3」に伸びた。
大瀬良大地は6回1/3を投げ、109球、被安打4、3奪三振、1四球で無失点に抑えたが、その後、8回に4番手の島内が1点を失って追いつかれたため、今季、無傷の5勝目とはならなかったが、直近先発した4試合で6回以上を投げ、無失点に抑える圧巻の投球内容だった。
広島の投手による連続無失点記録は、2009年に右腕の大竹寛がつくった43イニング連続無失点であり、大瀬良は大竹の記録にあと7回2/3まで迫っている。
NPB投手の連続イニング無失点の最長記録は、1958年の金田正一の64イニング
NPBの公式戦で、投手の連続イニング無失点記録は、1958年、国鉄スワローズの左腕、金田正一の64イニングが最長である。
金田は、1955年に読売ジャイアンツの別所毅彦がつくった49回1/3連続無失点というセ・リーグ記録を更新すると、1941年に大洋軍の野口二郎がつくった60回1/3も超え、1943年に東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の藤本英雄が、現在もNPB記録である「6試合連続完封勝利」を含む、62イニング連続無失点という最長記録を15年ぶりに破った。
翌1959年に南海ホークスの杉浦忠が54回2/3を連続無失点に抑えて、金田の記録に迫ったが、ここでシーズンが終了したため、記録更新はならず、パ・リーグ記録となった(杉浦は翌1960年シーズンも最初の登板で2イニングを無失点に抑えたため、2シーズンにまたがって56回2/3連続無失点)。
杉浦は直前にも43イニング連続無失点をマークし、1958年に西鉄ライオンズの稲尾和久がつくった39イニング連続無失点のパ・リーグ記録を更新したばかりだった。