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①アマテラスときどき瀬織津姫。

1-1【新陳代謝①】

今日から、掃除や片付けの意義や心がけについて、少しずつお話ししていこうと思います。
コレは、実は7年くらい前からずーっと考えてたことで、ようやく整理がついてきたので、頭の中から降ろすことにしました。

タイトルを「アマテラスときどき瀬織津姫」とした意味は、追々わかっていただけるよう説明していきます。

「お掃除の意義」を子どもの頃に仕込まれなかった人(私も)は、部屋が汚れてしまうことが許せてしまいます。(よね?)
知り合いや友人の中には、潔癖症の人もいるし、親の姿を見てか躾けられてかわかりませんが、「キレイな状態にすることが当たり前」で苦にもならず、常にお片付けや掃除が行き届いている人もいます。

しかし、一時、「トイレの神様」という歌が大流行したかと思えば、近藤麻理恵こと、こんまりさんのトキメキの「こんまりメソッド」も大流行するし、小林正観さんの「そわかの法則(そうじ・わらい・かんしゃ)」もベストセラーになり、「断捨離」という言葉はもともと仏教用語でありながら、「不要なものを捨てる」という動詞としても使われるほど一般に認知され、多くの人の生活の中に取り入れられるまでになりました。
お掃除やお片付け系の幸せになるためのハウツー本は、世の中に、まさに「掃いて捨てるほど」存在しています。
そして、そのような歌や書籍やメソッドがお金になるというのは、それを必要とする人が山のようにいるってことなんですよね。

たくさんの人が心が軽くなって、幸せになって、社会全体が良くなればいいな、って思っていたけれど、この世に山のようにあるハウツー本が新しい切り口や心惹かれるタイトルで売り出される度に、ベストセラーになる。
それは悪いことではないけれど、結局挫折して、別の方法なら上手くいくのではないか…的な人(自分を含め)が多いのは、ダイエット法や成功メソッドと同じことを繰り返しているからなのだろうなぁ…と分析していました。

結局、他人が「私はこうやって成功したから、あなたもきっと」的なメソッドを真似したところで、「オリジナルメソッド」に自分自身で辿り着かない限り、途中挫折はやむおえないのではないだろうか…

もちろん、その方法が自分にぴったり合って、継続できている人もたくさんいることも事実です。


ただ、昔からちょっとおかしな私は、ずーっと考えていたんです。

「神様って、何で掃除しないといけないような仕組みを創られたんだろう。
きっとそこには何か、納得せざるをえない人間にとって有益な意義があるに違いない」
って。


面倒くさいし、時間は取られるし、ちょっとでも手を抜くと、すぐ散らかるし、埃は溜まるし、汚れるし。
でも、キレイになったら、気分はスッキリするし、気持ちいいし、何がどこにあるかが明確だと、探し物をする時間も減るし、頭もすっきりして、いろいろやる気も起こってくる、という事実は、誰もが経験してわかってること。

なのに、なんでまた挫折しちゃうんだろう。
忙しさや気分の落ち込みが来ると、またすぐにもとに戻ってしまうんだろう。

でも5年くらい前から(遅っ!)、掃除の優先順位が徐々に高まってきて、メンターの言葉を繰り返し思い出すようになりました。

「毎日ゼロポイントに戻す。」

これは、ある時期、体力づくりのためにバレエを習っていた時に、尊敬する先生が常に言われていた言葉でした。
先生は、超プロフェッショナルな関西ではとても有名な方で、初心者であろうが上級者であろうが、常に「基本の大切さ」を説き、ご自身もそれをずっと実践してこられている方です。
レッスンを終えたら、必ず身体をゼロポイントに戻す。
骨盤の位置、立ち姿、身体の柔軟性、全てを元の状態(楽器のチューニングと同じです)に戻す。
舞台に立つ人は、公演が何日も何週間も続くことがありますから、その日の疲れはその日のうちに解消し、また翌日の舞台で良いパフォーマンスをしなければなりません。

先生はまた、「食事」も舞台と同じで ❝ 準備するところから食器を洗って拭いて元に戻すところまで ❞ ということも教えてくれました。

本当は親から躾け、教えてもらうことなのかもしれませんが、幼き頃、エセお嬢様育ちの時期があり、わがまま放題に育った私は、結婚してからも仕事と趣味と旅行とお付き合いなど出尽くめで、子供がいなかったからか、疲れていたら洗い物も次の日に残してしまうタイプでした。
(今思えば、私の母は、台所はいつもキレイに清潔にしていて、洗い物が溜まった状態の台所を見たことはありませんでした。掃除は苦手な人でしたが。)

話しは元に戻りますが、元々、自分が納得がいくまで「なんでだろう?」を頭の中で反芻するタイプだったために、家事をしようとすると何故かやらない方に引きずられる引力に負けて、身体が動きたくない!と感じてしまうことが多く、「なんでこんなにやりたくないことに従順なんだろう…」と自分のHSP気質に嫌気がさしたことも多々ありました。

なんで、こんなにやりたくないって魂が抵抗するんだろう…?

元々キレイ好きだし、自分が働いていた時は、職場はピカピカにしていたし、人が家に来るっていったら、ホテルのように完璧にキレイにすることもできていたから、「できない人間」「掃除が嫌いな人間」というわけではない、ということもわかっていました。

ただ、時間がなかったり、やりたいことを優先して、疲れるまでやりたいことに時間を使ってしまう傾向があって、「やらなければいけないこと」がなおざりになってしまうことが多い人生でした。

なんでだ?なんでなんだ?って考えてた頃に、瀬織津姫(セオリツヒメ)のことを知りました。
今は若い人たちの方がアニメとかゲームで知ってる人も多く、スピリチュアル界隈でも結構知られているみたいだけど、古代史や神道に興味のない人は知らない人もいるかもしれない。
瀬織津姫(セオリツヒメ)は、古事記 ・ 日本書紀 には記されていないけど、神道の大祓詞に登場する神で、水神や祓神、瀧神、川神とされ、罪や汚れを祓い浄める女神とされています。
また、瀬織津姫は天照大御神の荒魂(あらみたま)とも言われています。

私はそれで、ピン!と来たわけです。
この世は全て、陰陽と三位一体(裏表の❝2❞と、太陽と月と星の❝3❞)でがベースにできているということに気付いていたので、

ああ、そうか。

生きるって、汚れ(よごれ、けがれ)とセット(コインの裏表)なんだ。

って、そんな簡単なことに、やっと気づいたわけなんです。

セットなんだ、生きるって。この世って、全部。
息を吐く、吸う。
摂取する、排泄する。
生きているということは、汚れること。
人間の営みは、汚れること。

幼いころから習慣的にしていた日課的なことは、躾や教育によって叩き込まれていたから「やらねばならぬ」とは頭でわかっていたけれど、何故か「めんどくさい引力」に負けていた謎が、全部解けた。
セットなんだという認識がなかったからだったと。

我々は、自由を手に入れたと同時に、「やらない選択」を選ぶことも同時に手に入れた。
「勉強しなさい」「運動もがんばりなさい」「お稽古事もやりなさい」と、親や社会の価値観が外向きにばかりになり、家のことは親がやるのが当たり前の時代に育ったせいもある。
男女平等が普通になり、女も外で働くのが普通の時代になってきて、余計に時間がなくなったせいもある。

掃除は面倒くさいこと(→だから簡単にしたい)になり、誰かに代わってしてもらいたいものになり、ルンバが飛ぶように売れ、ゴミ屋敷のような家に住んでいても平気な人も増えた。

そして、表側に見える部分は時間をかけてキレイにするくせに、見えない部分の家の掃除は、時間がある時か、どうしようもなく汚くなってから、というライフスタイルに変わってしまった。

外にお金を稼ぎに出て、時間がない中、そのお金をエステやリラクゼーション、フィットネスやセミナーや占いなどに使い、一番大事な「自分で家をキレイにする」ということは、蔑(ないがし)ろにされてきた。

掃除が「意味のある重要事項」だと気付いていたら、もっとモチベーション上げて、毎日ちゃんとやっていたかもしれない。
誰にも見えないからと、誰も来ないからと、我慢できるまでやらないなんて、今ではあり得ない!と思うようになったのです。

生きることは汚れること。
生活するということは汚れるということ。
水が常に流れていないと澱んでしまうように、家と身体が同じってことは、家も生きているってことなんです。

全ての「モノ」は振動する周波数ですから、ホコリがかぶってたり、汚れたりすると周波数が重くなる。

食べるだけ食べて、排泄しなかったら、便秘になるし、太るし、腸が汚れて代謝が落ちて、病気になるでしょ。
腸は第二の脳(本当は第一)って言われるけれど、排泄(解毒)機能が上手く働かないと、身体は病気になります。
それと、同じ原理です。

なので、、、、、
掃除や片付けをすることは、、、


排泄(解毒)=穢れを祓い清めること

と同じことだったんです。

生きている限り、毎日しないと溜まっちゃう汚物と同じだから、掃除や片付けは、毎日生活の中に取り込まないといけない時間だったんです。

ということに気付いてからは、毎日を気持ちよく、波動を軽く、毎日に感謝して、願望を実現しながら、人に幸せのおすそ分けができる人生を送りたいから、「汚れ(穢れ)は溜めない」クセが自然とつくようになりました。

つづく。


ということで、今日はここまで。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

また、明日ね。

〜祗是未在〜








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