公立中学校教員のハーバード・スタンフォード逆転合格戦略〜ダークホース的な生き方〜
「ハーバードに将来行きます。」
5年前、大学生の時に、「大隈塾」という100人ほどの学生が受けている名物授業で公言した。
このとき、「予祝」という、「目標を達成する姿をできるだけ詳細にイメージすることで目標を達成しやすくなる」ということをゲストが言っていた。
単純な自分は、ハーバードに合格した瞬間の喜ぶイメージ、ガッツポーズするイメージ、それを家族に伝えるイメージ、キャンパスに行くイメージをハーバードのホームページを見てイメージしていた。
当時Teach For Japanでインターンをしていて、その創業者である松田さんがハーバードに行っていて、自分もいつか行けたらいいなと考えていてのことだった。
それと同時にその時の自分は、「まだハーバードには行けないだろう」と感じていた。
このnoteは、5年前の自分から現在までの5年間奮闘記である。8000字あります。笑 長いです。笑
このnoteで誰かの「一歩踏み出す背中」を押せたらと思う。
このnoteでは、
①まずこの5年間をざっくりと振り返り
②その後、自分が最近読んで自分の生き方に当てはまっている「ダークホース的な生き方」について言及する。
③最後に、今後の自分の活動、展望などについて述べたいと思う。
①この5年間をざっくりと振り返り
「ハーバードに将来行きます」
と公言したその後、自分がとった進路選択は、ハーバードとは程遠い公立中学校教員だった。 大学生の時にアメリカ、アフリカ、インド、ホンジェラスなど様々な国の学校でボランティアや教育実習をする経験をした。
大学入学当初は、英語で苦しんだ。高校まで得意な方だと思っていたら、入学した国際教養学部には、ネイティブや帰国子女ばかりで、到底及ばなかった。
附属校でフラフラしていた自分と大学受験で英語をしっかり勉強した人や海外経験が多い帰国子女には歯が立たず、入学した当初はAクラスという学部で一番ビリのクラスだった。 学部2000人程いて、Aクラスが10人だったため学部のビリから10番である。
話せない悔しさ、できない悔しさと毎日戦っている最初の2年間だった。
そして、留学を経て、様々な海外の学校を訪問した自分は、「世界の広さ」と「挑戦することの重要性」を伝えたいと思い、教員になりたいと感じていた。
自分の周りで教員になったのはほぼほぼいない。周りは銀行、コンサル、商社、大企業といった華々しい就職先だった。
「教員なんてもったいない。しかも、公立なんて大変だよ。」
そんなこと言われることもあった。 そういった中で自分は森岡毅さんの「苦しかった時の話をしようか」を熟読し、「自分の強みをどう活かすか」をひたすら考えていた。 海外の学校で働いた経験、塾で実際に教えた経験、Teach For JapanとTeach For Indiaのインターン、それらが一番活きるのは、オフィスでPCや数字と毎日格闘するのではなく、製品を売り込むことでもなく、 「自分の経験を生徒にダイレクト伝えること」だと感じ、自分の周りのが選ばない道を選んだ。他の人が選ばない道はもちろん不安だったが、自分が輝ける場所だと漠然と思っていた。
なぜ教員になったのかは以下のnoteに記しているので、興味のある人は読んで頂きたい。
また、その時考えていたのは、3年で日本一の教員になりたいと思ってた。 一年目は市内の若手で一番に、
ニ年目は県内で一番に、
三年目で日本で一番に。
そのような気持ちで働いた4年間で、様々なことをした。
・英語をただ勉強するのではなく、実際に使わないとを英語の意味がわからないと思い留学生を呼ぶイベントを毎年開催した。
・オンラインで海外の友達や海外留学している友人と話した。
・学校だけでは生徒が会えるロールモデルが少ないと思い、企業と連携しDeNAさんが来てくれたり、プロサッカー選手や落語講演家など様々な自分の友人達を授業に出演してもらった。
・パソコンやICTを使うことで生徒達が主体的になったり、より創造的になると思い、英語の発表に動画編集・プレゼン・劇など様々な発表方法を模索した。
その中で生徒たちは、「海外に行きたい、留学したい」と自然と言うようになった。
しかし、そのようなキラキラした話だけではなく、人間関係で苦しみ学校にこれなくなってしまった生徒の家に毎日通ったり、指導がうまくいかず「死ね」と言われたり、保護者に怒られることも多々あった。もちろん朝練、土日の部活もあるので大会のある月は2週間連続で土日が潰れて、3週間休みがないということも珍しくない。
その中でめげずに続けられたのは、「こうしたら面白いだろう」「生徒が楽しむだろうな」ということをシンプルにやり続けたからだ。教員の1つの特徴は「裁量の大きさ」であり、自分が信じることを自分の授業の中で生徒に伝えることができる。
そんなことをしてる時にコロナが来た。 いつも新しいことをやったり、大学生のときから、色んな環境の変化に対応してきたので、このときもシンプルに「こうなったらいいな」ということをやった。オンライン授業が出来ない理由がパソコンや Wi-Fi 環境だと知り、google からパソコン140台借りたり、 教育委員会がなぜ何もしないのか疑問に思い、直接電話で交渉もした。
それでも教員として何もできなかったので、「自分でやるしかない」と思い、「オンライン寺子屋」という無料でオンライン授業をする団体を立ち上げた。 色んな学校の先生を巻き込んだこのプロジェクトは新聞や様々なメディアにも掲載された。
功績が認められて、自分の学校が市内でICT推進校になり、自分もICT推進委員に任命された。 1年間半かけて、4月3日に提案したものができるようになった。
市内のオンライン授業や、GIGAタブレットの導入は自分のクラスから始まり、それを横展開するという流れになった。その功績で、千葉県の若手奨励教員にも推薦された。
2021年の3月の時期に次の年のことを考え始めた。
自分の担当している学年が卒業する年で、27歳でこれから自分の進路もどうするか考えていた。 2021年の4月2日にたまたまその時にハーバードに合格した方のブログを見た。そして、ハーバードの教育大学院のホームページを久しぶりに見たら、Learning Design, Innovation and Technologyという、まさに自分が学びたいドンピシャのプログラムがあった。
こうゆう「これだ! 」とバチッとパズルのピースがハマったときからの決断力、瞬発力が自分の持ち味である。 頭の中のドーパミンが止まらなかった。 すぐに大学院留学の準備をはじめ、次の日にはお金も振込み、退路を断った。
新学期が始まる前、自分も受験生になることを決めて生徒を迎えた。 ベタなのだが、壁に目標を書いていつでも目に入るようにした。
その日から、大学院の準備、英語の勉強、奨学金の申請、授業の準備、受験の指導、部活、行事の担当、オンライン寺子屋と常に10個ほどのプロジェクトを同時に回す生活だった。 今までと同じではだめだと思い、「脳の状態を常に最高のパフォーマンスを出せるように」、睡眠、食事、運動を心がけた。
9時半に寝ることを心がけ、4時頃に起きる生活。 身体によいものをたべ、散歩やランニングをしながら、考えを整理したり、コンディションを整えたりした。 仕事の前に1-2時間勉強や準備をして、仕事後も1-2時間勉強。 他の受験をしている仲間と一緒にスタバで勉強することもあった。 体育祭の日の朝4時から奨学金のEssayの仕上げをして、体育祭終了後に郵便局に行った。
推薦書を3人に書いてもらわなければいけなく、なかなか見つからなかった。そんな時に書いてくださった、Jon、村田先生、所属先の校長先生には感謝しかない。
休日は部活、オンライン寺子屋、学校の準備、大学院の準備に自分の持っている時間とリソース全てを割いた。
そして、色々なことを辞めた。 情報量の多いSNSやYoutubeなどの動画、スマホを見る時間を最小限にした。 食事では、お菓子、チョコ、炭水化物、食べすぎないようした。 人と会うのも、制限した。大学院を目指すに向けてパートナーとの別れもあった。
人生を変えるには、日々の習慣を変えるしかない。
体育祭の日も、朝の4時から奨学金申請の志願理由を書き、終わったあとにカフェで仕上げたり、 毎日の車の中でも、行きの車はシャドーウィング、帰りの車はリスニングを続けたり、複数のプロジェクトを回すために、常にどう効率化するか、優先順位、0秒思考、構造思考、ポモドーロ、毎日の振り返りと次の日の目標などあらゆることを意識した。
この1年間での大きな学びは2つある
1つ目は大学院への準備・受験、そのものが学びであること。 生徒の受験を見ていても強く感じたが、合格・不合格に関わらず、受験を通して個人はとても成長する。 それは目標に向かって努力することだけではなく、自分と何度も向き合い、自問自答し、内省し、 期日に向けて様々な書類を準備したり、今まで使ったことないサービスや機関から書類をもらったり、 大学院に向けて、先輩や、大学院留学経験者、現地の人から刺激をもらったり、 自分の生活を全て見直したり、 大学院の準備それ自体が大きな学びだった。 結果に関わらず、何か新しいことに挑戦するという行為自体が大事であると再確認した。
2つ目は「どんな状況でも楽しむと決める」こと。とあるスピーチで、「 どんな困難でも、楽しむかどうかは自分次第」と言っていた。 成功するかどうかはわからないので、どうせなら「楽しもう」とこのスピーチを見て思った。 生徒には自分が受験していることをいえなかったので、「今日先生勝負だから」とぼかして言ってたりした。この大学院受験は、もちろん大変ではあったが、あまり辛くはなかった。この「挑戦を楽しもう」と決めていたからである。
そして、10月にICT夢コンテストでオンライン寺子屋の総務大臣賞が決まった。 11月にフルブライト奨学金(アメリカ留学の奨学金の中で一番名誉だと言われる奨学金)に合格した。12月はクリスマスも大晦日も、最後まで志願理由書を書いていた。 志願理由書を何度も見直し、添削してもらい、最後の最後まで自分が最大限納得できるものを作った。 志望校は、ハーバードを最初見ていたが、他の大学にも同じようなプログラムがあり、スタンフォード、コロンビア、カーネギーメロンなど、合計7つの学校を受験した。
ここまでやって、これでダメだったらしょうがないとおもった。
正直、自分の経歴やバックグラウンドがどう評価されるのかがわからかった。
そして、結果が全て出揃ったのが3月初め。
時期は生徒の合格発表とほぼ同じ時期だった。
結果は、 、、、、、
結果は、ハーバード、スタンフォード、コロンビア、カーネギーメロン、NYU、HTHの6つから合格をもらえた!!
留学のサポートをしていた方からは、教育分野でハーバードとスタンフォードの両方から合格をもらえてるのはこの30年間の中で初めてと言われた。
5年前、大学で宣言した目標を達成した瞬間だった。
国際教養学部でBottom 10だった自分からしたら、世界のトップ大学から合格をもらえるなんて夢のようだ。
ちなみにその時の授業を担当していた(そして、推薦書も書いてくれた)先生がnoteに書いてくれた。村田先生には感謝しかない。
②ダークホース的な生き方について
自分のこの結果は「とても運が良かった」と感じ、「自分が努力した」から合格できたとは全く思わない。教育社会学で「どんな人が成功するか」というのを嫌というほど習ってきたので、本当に周りに恵まれたと感じてる。
ただ、これまでの自分の人生の選択を振り返ると、自分は他の人と異なる選択をしてきたことは確かである。
その異なる選択を振り返りながら、「ダークホース的な生き方」について言及したいと思う。
最近「ダークホース〜好きなことだけで生きる人が成功する時代〜」という本を読み、自分の生き方ととても近いものがあったで、その本の内容を踏まえて自分の選択を考察したいと思う。
と紹介されている。
ダークホースたちは、成功を果たすまで注目はされない。そして、成功した途端、その型破りのサクセスストーリーに多くの人は魅力される。
個性が重要視されるこの時代、 「決められたルールで、決められたものを、決められたやり方で、できるだけ早くやる」と言った、 多くの国で見るスタンダードな生き方ではなく、「 自分で何をやるか決め、どうやるか、いつまでに、誰とやるかをきめる。 」そんな枠を自分で作っていくのがダークホース的な生き方。
誰もがわかる、出世階段を登って、富と地位を獲得する標準化の成功法則ではなく、 自分にとって、成功を治める最善の方法を常に考えることが大事である。
そして、個人軸の成功、個人の幸福感と達成感が何よりも大事であり、そのためにリソースを割くことこそが重要である。 個人軸の成功を治めるためには、自分について知り、自分の強みを理解し、自分に合った戦略を考えることが大事である。
この本は、ハーバード教育大学院研究員と神経科学の専門家が、科学的に「好きなことをして生きるのがも大事である」という説を証明している本である。 (もちろん、反論や異論はあると思うが)
ダークホースは、既存のゲームのルールを破り、 何よりも個人の充足感を大切にしながらも生きている。
ダークホースたちは、「なにかに成功する」ことよりも、自分自身にとってかけがえのないことに熱心に取り組むことで充足感を得る。 今までの敷かれたレールではなく、新しいレールを自分で敷くのがダークホースである。
これらは、まさに自分がしてきたことと重なった。
高校時代の友人から刺激を受けて他の人と違う選択をするようになった。「 みんながしてるから、多くの人が選ぶから」という道から外れ、 「国際教養学部」「休学」「アフリカやインドの学校に行く」「公立中学校教員」「退職」 と人とは違う選択をした。
その時に自分が常に求めていたのは、シンプルに「自分のワクワクすることや好きなことをすること」である。 論理的な左脳的な決断で、アフリカにはいかないだろう。 ハーバードに行くために、アフリカは行かないだろう。 目標からの逆算ではなく、その時の自分のやりたいことを丁寧に行動に移す。
逆説的だが、「ハーバードに合格するためには、ハーバードに合格するために何かをしてはいけない。」と思っていた。
それよりも、自分の得意で好きな分野を徹底的に突き詰めた先に、タイミングや運が重なって合格できると漠然と感じていた。
ハーバードで自分が評価されたのは、そのユニークさであると感じる。 大学時代に、海外の学校現場を見て回った経験、 その後日本の公立中学校で勤務した経験、オンライン寺子屋を立ち上げた経験、 この様々な経験とその背後にある、想い、マインドセットなどが評価されたのだと思う。
そして、それは全ていわゆる大学受験のような「これとこれを完璧にして、全部覚えればよい」といった標準化された成功への道筋を辿ったのではなく、 今までの枠を超えて、自分に合った枠を作り、ルールも自分で決めるダークホース的な道筋である。
この道筋では、自分でルールを作るため、「常に個人軸」で動き、他人軸には左右されない。
自分の強みを理解し、どうその強みを活かすか、強みが活きるフィールドはどこか、そのフィールドがないなら自分で作る、そうゆうダークホース的な生き方をしてきた。
このような生き方は、自分が教えていた生徒にも最後の学活でも伝えたし、自分の担任していた生徒には「あなたの3つの強み」を一人一人手紙に書いて渡した。
人がどのような選択をするかは人それぞれだが、この「ダークホース的な生き方」「自分の強みを活かす生き方」が自分には合っていると感じてる。
③今後の展望について
自分のやりたい事はシンプルに「日本の教育をより良く」することである。日本で育ち、教員として働き、日本の素晴らしさを十分に体感した。その日本の教育をもっと良くしていくために今後も挑戦し、貢献していきたいと考えている。
現在スタンフォード大学にいて、来週はハーバード 大学を訪問して、どちらの大学に行くかを決める。自分が心から納得する選択をできたらと考えている。
具体的に今やりたいことは4つある。
①NPOの立ち上げ。
オンライン寺子屋をEdFutureというNPOの事業の1つに、NPOを立ち上げる。「すべての子どもに、多様な選択肢を」という理念は変わらず、様々なこと活動を今後もしていきたいと考えている。
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それにあたり、デザイナーで協力してくれる人を募集しています!もしビジョンや中村の活動に興味を持ってくださる方は、あまり多くの金額は出せないですが、プロボノなどで関わって頂けると助かります。NPOの正会員も募集中です。申し込みはこちらから
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2、U29 Young Teachers Communityの運営。
日本の教育を若い力で盛り上げるために「日本の教育にムーンショットを」というVISIONで、若手教員コミュニティを立ち上げた。教員経験者で29歳以下の人が対象である。詳しくはこちら
3、メンタープログラムの実施
高校生・大学生・社会人(各カテゴリー5名ずつ)を自分がメンターするプログラムを始めます。
期間は1年間、内容をざっくり言うと1〜2ヶ月に1回一緒に振り返りをします。その人の強みを発見しつつ、キャリア戦略、ダークホース的な戦略を一緒に考える伴走プログラムです。
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※完全に趣味ででやります。笑
※申し込み多数と中村のスケジュールのため只今3ヶ月程時間がかかる可能性があります。
申し込みはこちらから
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4、全国各地の学校訪問
4月からアメリカに行くまでの4ヶ月間時間があり、日本全国(沖縄〜北海道まで)を周ろうと考えている。日本のこともまだまだ知らないので、全国を周りつつ様々な学校を視察できらと考えている。
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学校関係者の皆様
ぜひ全国の学校・教育委員会などを訪ねさせて頂きたいです!自分が貢献できることとしては以下のテーマについてお話できます。
テーマ
英語教育、海外の学校、海外文化、海外大学院、キャリア、オンライン教育、ICT、ハーバード・スタンフォード受験
※生徒に向けての講演も同様のテーマで60〜90分程度話せます。
「学校に遊びに来てもいいよ!」という素敵な学校さんや自治体さんがいましたら以下のフォームから連絡をくださればと思います!よろしくお願い致します。
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最後に
このnoteを書こうと考えたのは、「誰かが一歩踏み出す」ことを応援したいからである。一番初めにも書いたがハーバード合格のブログを読み、自分が背中を押された。
「誰かができた」という体験は「だったら自分もできるかも」と思わせてくれる。
このnoteが「誰かの背中を押す」ことに貢献できたら本望である。
20220404 @Stanford 中村 柾
https://toyokeizai.net/articles/-/594226