スタンフォード教育大学院での 11ヶ月の学びを振り返る〜アメリカ大学院留学日記#3〜
先日、スタンフォードの卒業式があり、あっという間の大学院の1年目が終盤に近づいた。
そんな、スタンフォードの教育大学院の1年間の学びを振り返ってみようと思う。
「学び」とは「多様である」
この1年間で「学ぶ」ということが、いかに「多様」であるかを肌で体感した。
世界のITとイノベーションの最先端・シリコンバレーの中心にあるスタンフォードの教育大学院。
この1年間で自分が受けたのは、「教授の話を聞いて、論文を読んで、問いの答えを探すという学び」ではなく、「教室の外に出てインタビューし、問いを立て、答えとなるプロダクトやサービスをプロトタイプし、正解かどうかを検証していくという学び」だった。
「学ぶ」ということは、「作ること」「議論すること」「インタビューすること」「実際に足を動かすこと」「体験すること」「振り返ること」。
本当にいろんなことから学べるし、「違う学び方ができること」が求められた。
インタビューをするために、知らない人にどんどんメールを送って話したり、 コネクションを作りに行くことも学びの1つとされている。
実際に足を動かして、「いかに教室の外でも学ぶか」というのが印象的だった。
プロジェクトパートナーからの学び
自分のプログラムでは、1年間でプロダクトのベータ版を作る。そして、自分は1年間を通してプロジェクトパートナーと一緒にやってきた。
このパートナーは50歳近くでかなり多様な経験をしてまた大学院生をしているとても面白いパートナーだった。 MITでMBAをとって、今はVRのスタートアップの会社を経営している。
このパートナーと一緒にプロジェクトをして、どう人とつながるのか、どう前に物事を進めていくのか、彼のパワフルな推進力やVRについての知識やコネクションについてかなり多く学ばさせてもらった。
これは感謝でしかない。 一方で、会話がなかなか噛み合わず、あまり重要ではない論点に2時間以上を議論し、結局何も決まらないと言うような難しくもどかしい体験もしたが、それもとても良い経験である。
プロジェクト外に一緒にバーベキューをしたり、アーチェリーをしたのも良い思い出だ。
クラスメイトからの学び
自分の周りのクラスメイトを見て、彼らの最大の特徴は「柔軟で推進力のあるスマートさ」ということだった。
「〜しなければならない」というのに捉われずに、自由に「ルールを破っていく」。
ルールや決まりを破る事に対してとても寛容であるし、ルールが絶対ではないことについてよく理解している。それは教授もそうで、色んなことに柔軟に対応してくれる。
それだったら本質的には変わらないでしょとか本質的にこっちの方が大事でしょってなったら、迷わずルールを破っていく。 このような姿勢やバイブは、個人的に非常に好きである。
変わることを恐れない、どんどんいろんなことにチャレンジしていく。失敗よりもチャレンジするような姿勢には刺激を受けた。
Chat GPTが出てきた時も、我先にと教授も使っていた。 そして、教員バックグラウンドの多い仲間たちが、 恐れずにアクセレレータープログラムに参加していて、ビジネスアイディアをプレゼンしているのを見て、 スタンフォード生の適応能力やスタンフォードという環境の影響を思い知った。
そして、25人しかいないという小さなコミュニティーの中で お互いのことをより深く知り、 夜遅くまで勉強したり、くだらないことを話したり、一緒に苦しみを共にしたり、深夜まで人生や愛について語ったり、授業の外でも中でも親睦を深められたのは一生涯の財産になる。
イシューから始めよ
「それは誰のどんな課題なのか」今年何度も聞いた言葉である。
デザイン思考が浸透しているスタンフォードで 課題は何なのか、誰が何を解決したいのかと言う言葉は、教育学部でも痛いほど聞かされた言葉であった。
聞けば聞くほど体の中に染み込んでいき、何か新しいことを考えるときに、それって結局誰が困ってどんな事に痛みがあるのかと言うのをより繊細にイメージするようになった。
「解く問い」をミスると、たとえ答えを導いたとしても見当はずれになる。その問いの解像度を上げるためには、実際に教室の外に出て、色々話を聞くことが一番である。
そして、自身がやってきたプロジェクトとの「問いの精度」を振り返ってみると、まだまだ甘く、その結果「出た答え」も弱いような気がする。
それってほんとに効果あるの
教育の難しさの一つは、教育の効果を図る事が難しいことである。 「これをしたらこういう結果が出る」と言う因果関係を示す事は非常に難しい。
なぜなら、一人一人の個性が違うし、バックグラウンドや家庭、その日の体調や気分など、別の要素がたくさんあるからだ。
その中で、 「どのようなサービスや体験だと、教育効果が本当にあるのか」「どういう指標だと正確に教育効果が図れるのか」というのを考えさせられた1年だった。
「良い教育」と言われる教育の背後には何らかの「学習科学」があり、それを適切に「実施できた時」初めて効果が出る。
世の中にごまんとある教育サービスにも、「効果があるのか」「どのようにその効果を測定しているのか」というクリティカルな視点を常に持てるようになった。
いつスタンフォードの生徒になるのか
スタンフォードの生徒は、いつどのようにスタンフォードの生徒になるのだろうか
合格通知が届いた時だろうか、 キャンパスに来た瞬間だろうか、 それとも卒業した瞬間だろうか?
「この時」に「スタンフォード生になった」という瞬間はないが、しかし卒業するにつれて確実に、スタンフォード生になっていく。
卒業するにつれて確実に、「いつ起業するの?」という言葉に誰も違和感を感じなくなっていく。
学校外の人と会うときに「スタンフォードに通ってます」と何度も声に出し、頭の中と外で反芻することで、少しずつその言葉を言うことに違和感がなくなっていく。
スタンフォードの環境に浸り、挑戦するマインドセットに触れ、起業を「当たり前の選択肢」としてかたり、世界と勝負するのが普通というNormで1年間過ごした時に、気づいたらいつの間にかスタンフォード生になっている。
世界に近づいた、スタートラインに立った
その結果、世界の最前線で戦う人と接することに怯えなくなる。
スタンフォードハーバードと聞いても怯えないし、彼らも自分と同じ人間であることがわかった。
世界の最前線で日々戦っている人たち、もしくはこれから戦う人と一緒に毎日接すことで暮らしていることで、 彼らも同じ人間だし、完璧な人間でもないし、教授だっていろいろミスをすることに気づく。
彼らと対等に話すし、自分のことを対等に接してくれる。そしてその彼らの一員に気がついたら自分もなっているのだ。
大谷翔平が「憧れを捨てよう」とアメリカと戦った時に言ったように、 「ハーバードやスタンフォード」と聞いても、憧れの対象ではなく、同じフィールドに立っている対等な立場と捉えられるようになる。
本屋で見る「ハーバード流」「スタンフォード流」と言うタイトルがついた本を見て、憧れることも怯えることもない。
この「恐れの無さ」「自負」は大きな財産であり、今後自分を守る壁となるだろう。
以上が1年間の学びである。
しかし、まだ一年目が終わっただけである。
まだ卒業しただけで何も成し遂げてない。
まだスタートラインに立ったままで、本当の勝負はこれからである。
20230718@SFO
Masaki Nakamura