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アメリカ・スタンフォードに高校生を連れてきてみた〜第一回ワールド寺子屋の軌跡〜

「教育×スタンフォード」

というバックグランドを最大限活かすには?

ということで、自分がアメリカでできることをずっと考えていた。

その中で以下の事は以前にも実施したことがあった。

・アメリカ大学生ライフについての情報の発信
・日本の学校にオンラインで講演をする

それ以外に何かできることはないか。スタンフォードに行くことが決まった後、「現地で何ができるか」「何を仕込めるか」を日本にいるときから考えていた。

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「海外に行く生徒が増えてほしい!」

という思いで教員になった。

自分の仮説のとして、日本社会や教育をよくするための 一つの方法は、「より多様な人や多様な考えが受け入れられるべきだ」と思うからである。 そしてそのためには、少しでも海外に行ったり、海外に行っている日本の人が増えると良いと思ったからだ。

また、コンフォートゾーンから出た、圧倒的な異文化体験・越境体験はその生徒の殻を破らせ、成長し、自分自身を振り返る機会になる(全員ではない)。

そして、シンプルに「海外楽しい、面白い、というのを知ってもらいたい」というのも自身の経験からあった(全員海外に行くべきだとは思ってはいない)。

そしてそれを実現するための最大のポイントは、「海外に行く一歩をできるだけ簡単にする」ことであると思った。

その一歩を簡単にするには、自分ができることとして、「実際に海外に行く機会を生み出す必要がある」と思っていた。

だが、このアイデアを実際に頭で考えてから、実施するまで様々な壁が立ちはだかった。今回はこれまでの軌跡をドラクエ風?に書いてみようと思う。(ドラクエはやったことがないです。完全にイメージで書いてます。ごめんなさい。5000字あります。写真などは全て掲載許可をもらっています。)

0、現在地を見つめ、地図を描く

「そもそも日本人って海外に行きたくないんじゃないか?」

海外留学者の数を見てみると、 昔からあまり増えてないのが現状である。

それでは、「海外に行きたい!と思う生徒を増やさねば!」と思い、学校の現場で教員として4年間働いた。

授業や生徒と触れ合う中で、確実に生徒は英語や海外について興味を持っていった。

海外に憧れる生徒、英語の勉強のモチベーションが高い生徒、 実際に海外に行く事も視野に入れている生徒も出てきた!

しかし、4年間教えた結果、その先の次の実際に一歩踏み出すと言うハードルの壁の高さが現実だった。

「 いつか行きたいですよね」「 行けたらいいですよね」「 行きたいけれど、実際行くとしたら、、、」

というのがリアルの声だった。

そんな中で、 自分がちょうどアメリカの大学院に進学するタイミングも重なり、 何かできないかと模索し始めた。

そして、実施1年前にボーダレスアカデミーの社会起業育成プログラムに参加した。

生徒や親にヒアリングをし、実際に似たような企業している人にも話をしてもらい、価格を抑えつつ、良質な体験ができるプログラムデザインについて考え始めた。

色んな人に話を聞いてる中で、とても素晴らしいプログラムをしている方に出会った。

簡単に言うと、 「日本語を勉強している高校と提携し、日本語を勉強しているアメリカ人高校生と日本人高校生を1週間行動を共にするというプログラム」である。

これは留学して、 「友達ができない」または「言語の壁に阻まれる」と言う障害を崩すことができる。

そして、「英語レベルが上級ではない生徒たち」にも留学する機会が与えられると言う画期的なシステムだと思った。

「一歩目をできるだけ低くする」ことができるのである。

これは、 自分が大学時代の留学経験ともあてはまった。

大学時代に留学していた大学には日本語学科があり、 友達を作るのが比較的容易であった。

しかし、このプログラムの肝は「提携先の学校を見つけること」だと聞いた。

ボーダレスジャパンのプログラムは、この企画案を発表し終了した。

この企画案を実際に実行するかどうかは、本人次第で、ここからは、自分との戦いである。
[地図を手に入れた]

1、仲間を見つける〜一緒にプログラムを作ってくれる人を見つける〜

このプログラムを実施するのに、一人では無理だと直感的に感じた。準備することが多すぎる。

また一人でやるよりもみんなでワイワイやった方が楽しい。何かをやる時自分はいつも誰かを誘ってやるのが好きだ。

アフリカの諺にこんなのがあるみたいだ。

「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」

そこで、知り合いの海外留学プログラムを運営している人に、知り合いを紹介してもらった。

そして海外経験が豊富で、教育に熱い想いを持ったゆーま、ひかる、あすかの3人が集まった。

今回のプログラムでは、この3人の協力なしには実現できなかったので、本当に感謝しかない。
[ゆーま、ひかる、あすかが仲間に加わった]

2、ゴールドを手にいれる〜クラウドファンディングで資金を集める〜

「ハードルを下げて、機会を広げる」というのが大きなミッションであったため、「格安」でやることが必須だった。

しかし、格安でやればやるほど利益も出ない。ビジネスモデルを構築したものの、理論と実際にやるのは違う。

急激な円安で航空費の高騰、使用しようと考えていた格安航空は団体予約ができないため断念

市や自治体との連携、補助金の申請も当たってみたが、今までに実績がないということで、断られた

「参加費を上げれば、利益が出る」が、そもそものこのプログラムのミッションに反するため、第一回は泣く泣くクラウドファンディングをすることにした。

自分たちが考える格安20万を達成するためには、最低でも150万円が必要だった。

そして、クラウドファンディングの期間を考えると、留学する前から始めなければいけなかった。

色々な成功しているサイトを見て、どんなページが成功率が高いか、どんな要素が必要かを検討し2ヶ月かけて、文章を考えた。

そのサイトが以下である。

クラウドファンディングのイメージは「シェアされて、知らない人が」どんどん支援してくれるというイメージだが、実際は違う

70%は自分の知っている人からの支援である。なので、ひたすらお願いのメールを送らなければいけない。自分の知り合いに「協力してください。」とひたすらお願いするのだ。

仲の良い友人、イベントで知り合った人、長らく連絡を取り合ってなかった人、年上の方、様々な人にメールを送らなければいけない。

もちろん、返信がなかったり、難しいという返事をもらうことも少なくない。こちらから一方的にお願いしているから当たり前のことだ。

だが、その一方で、快く協力してくれる人、シェアだけでも応援する、高額な金額を支援してくれる人もいた。

最初はシェアが伸びたが、2週間経つと伸び悩む、毎日チェックして、達成できそうかどうかドキドキしつつ、ダメかも知れない、、、と思う毎日だ。

最終手段として、渋谷でのビラ配りをすることにした。しかし、調べてみると渋谷で許可なくビラ配りをするのは違法であることがわかった。

なので、許可をもらうために、渋谷区の交番と市役所にも通った。

許可が降りるのに1週間ほどかかり最終的にはその前に達成したので、ビラ配りはしなかっだが、クラウドファンディングとは「簡単にシェアされてお金がどんどん集まる」ものではなく、「泥臭く足を動かして、頭を下げてお願いする」ものであることを実感した。

毎日のメールやメッセージのお願い、SNSのアップデート、友人や知人の協力があり、最終的には目標を達成することができた。

支援や応援して頂いた方は本当にありがとうございました!
[150万ゴールドを手に入れた]

3、宿を見つける〜提携学校を見つける〜

これが最大の難関であり、現地でしかできないことである。

(普通宿泊先見つけるのは、ドラクエでは旅に出た後ですね 笑)

到着してすぐ、スタンフォードの教授にこの留学プログラムのことを説明して、アドバイスをもらった。

「とても良い取り組みだね、近くの高校に知り合いの先生がいるから紹介してあげるよ」と応援してくれた。

アメリカという国は「挑戦者に優しい」。

一番最初の授業で、自分の取り組みを説明したら、「協力したい!」とクラスメイトが言いってくれ、アメリカ側のメンバーとして協力してくれることになった。[ヘンリーが仲間に加わった]

その他にネットで高校を調べたり、他の教授に聞いたりして、いろいろな学校にメールを送った。

返事が来るかどうかわからなかったが、いくつかの学校から返事かきた。

しかし実際に話してみると、「ホームステイの受け入れが厳しい、コロナ後でまだ受け入れは厳しい」
または、「今までに実績がなく、初めてのプログラムなのでできない」とストレートに言われたこともあった。

これが0→1 で何か新しいことをする時の難しさである。

「お金を集めたのに、受け入れ先がない!」

という恐怖と戦いつつ、絶対に大丈夫だと信じ続けて、諦めずにメールを送り続けていると、受け入れをしてくれるという学校を2つ見つけることができた。

どちらも日本語学科があり、日本の学生を受け入れることでアメリカの学校にもメリットがあるとのことだ。

[宿を見つけた!]

4、旅に出る〜募集、選考とプログラムの安心安全な実施〜

ゆーま、あすか、ひかるの協力のもと、プログラムの募集要項、規約、応募フォーム、選考基準などを色々な資料を参考にしながら全て作成した。

正解がないなか、自分たちで「正解」を作っていく。

自分たちで羅針盤を作って、進んでいくような期間だったが、順調に特設ウェブサイト、募集要項、応募フォームなど作成できた。

初めてのプログラムで実際に応募者が集まるのか?という不安もあったが、すぐに応募者がきた。

さすが世界のスタンフォードやシリコンバレーである。そして、格安である。

また、自分たちのミッションである「誰もが海外に挑戦できる機会を広げる」ために、英語力不問、学力不問、ということで門戸をできる広げた。

全国から、英語のレベル、学力、今までの取り組みなどは本当に人それぞれだったが、素敵な10人が集まった。

今回のプログラムでは、生徒一人一人がテーマを決めて、自分のテーマについて探求するプログラムをデザインした。

ただ、海外留学をお客さんとして参加するだけではなく、テーマについて日本で調べ、アメリカで実際にバディや現地の先生、ホストファミリーに聞いて、自分の興味のあることを深掘りする。

また、バディとはオンラインで顔合わせをした。一回目でとても盛り上がったペア、全然話せなかったペアなど様々だったが、そのどの経験も貴重な経験である。

そんな準備をして実際に実施したプログラムは、正直かなりドキドキしていた。

無事全員飛行機に乗れるか、パスポートは忘れていないか、チャーターバスは来るか、病気にならないか、コロナが悪化しないか、怪我はないかと心配することは山ほどある。

結果、小さなトラブルはあったが大きなことはなく、無事プログラムを全日程終了した。

詳しいプログラムの様子は以下のサイトと動画を参考にしてほしい。

[WTPダイアリー]

[World Terakoya Program 1st Batch]

プログラム後の生徒のコメントがとても印象的だった。

”高校生の内に海外を経験出来たのはとても貴重な経験で、一生の宝物になった。”

”アメリカの家庭で過ごせたのが、文化や食事の違いを知れて楽しかった バディやファミリーといろんな時間を一緒に過ごすうちに感謝や友情などいろんな感情が芽生えて、アメリカにもう一度行きたいという一つの理由にまでなった。”

"高校一年で、実際にアメリカという完全に文化・言語違う国に行くことができた経験は、自分自身への自信になりました。 これから、自分がどうなっていくのか。どんな夢を持つのか。ワクワクします。"

"初めての海外。ほんとにはじめての体験で世界が広がりました!"

5、新しい旅

旅の終わりは新しい旅の始まりである。

来年も自身はアメリカにいることから、第二弾も実施予定である。

今回はご縁があり、早稲田大学と提携してプログラムを実施する。アントレプレナーシップの要素が入るが、基本的には前回と似たプログラムだ。

今回のプログラムでは、参加者の費用が前回よりも更に格安になっているので、ぜひ注目してもらいたい。

詳細は以下のイベントでアナウンスされるので、ぜひ知り合いの方や興味のある人は参加してもらいたい。

6、最後に


このnoteを書いたのは、自分の「挑戦する機会を作り出すという挑戦」を振り返りつつ、「他の人が挑戦する一歩」を後押ししたいと思ったからだ。

来年は色々迷った末にハーバード大学に進学する。

ハーバード or スタンフォード?の二択ではなく、「第3の選択肢」がないかを探す。

今後も自分自身が挑戦しつつ、「足下に種を蒔いて」いきたいと思う。


7/1/2023 @Stanford
Masaki Nakamura


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